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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

叱責される

 礼拝の中で、小学校に入学したSちゃんの祝福を祈りました。祈る前に「みんなと仲よくやってる?」と尋ねると「うん」とうなずきました。「本当?ケンカしてない?暴力ふるってない?」と尋ねると、「ケンカしてる〜。暴力してる〜」とニヤリと笑ってお答えになられました。

 大きな主の愛に包まれながら、すくすくと成長して欲しいと願いながら、包み込むように手を野切り、皆さんの愛の祈りに合わせて、私も心からSちゃんのために祈りました。

 主イエスが弟子たちを叱責されました。他の誰でもない、主イエスが叱責されたのです。よく「私は褒められて伸びるタイプ」と平気で自ら話される方がおられますが、気持ちはよ〜く分かります(笑)責められるよりも、慰めや励ましの言葉を聞きたいものです。しかし主イエスは、確かに叱責されます。そしてその叱責の言葉を信仰を持って聞き、受けとめるキリスト者は、本当の意味で強くなります。



 人が人を叱責する言葉は、不完全なものです。そこには余計なものがつきまといます。「この際だから言っておきますが」と、「この際」って「どの際か」分かりませんが、あのことも、このこともと、ついでに責めます。「あなたのためを思って言うのよ」という場合でも、いろんな感情や思いがくっつきやすいものです。人の叱責には、怒り、自己主張などがつきやすいものです。

 しかし主イエスの叱責は、完全です。主イエスの叱責の土台には、完全な愛があります。人を責めることが目的ではなく、人を建て上げていくことが目的です。主イエスの叱責は、人格を否定することなく、愛や慰めや励ましが含まれています。



20150426
(約250字のエッセンスは、コチラ

 私たちは、主イエスから本気で叱責されることを大切にしたいのです。主イエスの叱責の言葉を聞き流さないで受けとめる時、主は生きておられると、復活の主を目の当たりにするのです。そして不信仰から信じて歩む者へ、心のかたさがほぐされて、希望をもって歩む者へとなっていきます。



 

「マリヤとこの2人の弟子たちは、自分たちの仲間が話すことに耳を傾けてくれない、信じてくれなかった時、悲しかっただろうと思います。一番伝えたいことが伝わらないのですから。でもねぇ、彼らは祈ったと思うんです。『主よ、どうぞあなたが生きていることが分かるように、教えてあげてください』と。

 その結果、復活の主イエスが現れ、弟子たちはやがて信じる者となりました。マリヤや2人の弟子たちはどんなに嬉しかっただろうかと思うのです!

 そしてその時、父なる神、主イエスの思いを誰よりも深く知ったはずです。どんなに伝えても、示しても、それでも造り主なる神を見捨て、信じることをしなかった人間を、それでも諦めずに主の方が私たちを信じ、そしてあらゆる方法を通して福音を知らせ続けて下さいました。そして信仰の関係を取り戻した時、その時の主なる神の喜びの思いを誰よりも深く知ったことでしょう。そして弟子たちは主の命を受けて、福音を伝えていく者になりました」



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