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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

圧倒的に

 5月最初の日曜日、GWの最中(さなか)、まさに黄金のエルサレムにいるような天に続く主の栄光を礼拝の中で見させて頂きました!祈り備えてきて、本当に良かったなぁ、教会は主の教会なんだなぁと思わずにはおれません。
 
 実家に戻っておられたTさんが、主の奇跡とあわれみを体験して戻られ、久々に集えて感謝です。午後からは、水曜日の賛美練習と夜のⅡ礼拝がありました。

 何度か紹介しましたが、宗教改革者のマルチン・ルターは、激しい戦いをしました。大きな試練や攻撃を受ける中で、意気消沈しそうな時、彼は自分の書斎のあらゆる紙切れに言葉を綴ったそうです。それは「私は洗礼を受けている」という言葉だったとのこと。「これでも、私は洗礼を受けている」、「こんな私だからこそ洗礼を受けている」、そういう意味合いでしょう。

 つまり、たとえ悪魔が働こうとも、生きる力が失われそうな迫害に遭おうとも、それでも私は洗礼を受けている、キリストのものとされている、私の主、イエス・キリストが共におられる、そう告白して立ち上がっていったというのです。私たちが洗礼を受けているという事実を、過小評価してはいけないということです。



20150503
(約250字のエッセンスは、コチラ

 洗礼は、人が受けるというよりも、圧倒的に「神が授けるもの」なのです。神の業です。



 私は主イエスを信じているけれど、ここにあるようなしるしは、あまり体験していないという方がおられるでしょうか。これらの奇跡、しるしは、福音が宣べ伝えられる時にあらわれたものです。福音を宣べ伝える時に、主イエスが救い主だというしるしが与えられていくのです。



 聖書朗読で、99匹の羊と迷い出た一匹のたとえを読んでいただきました。良くできる99匹の羊は救われても、こんな私は救われないと臆病な一匹が迷い出るなら、まさにその一匹に洗礼を授けるために、羊飼いである主イエスは野山を必死に駆け巡るのです。「人の子は失われた者を訪ね出して救うために来たのです」。それが主イエスの洗礼です、あなたが主を愛するよりも先に、主はあなたを愛してくださっているのです。



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