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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

かもしかのように

 日曜日は、ペンテコステの礼拝を捧げました。キリスト教の三大祝祭の1つなのですが、「クリスマス>イースター>ペンテコステ」の図式が成り立っていますね。準備や飾り付けなども、その順番です。

 それでも皆さんにお話しをしましたが、ペンテコステは何かを飾るわけではありませんが、聖霊に満たされた私たちが主イエスを証ししていく、主の栄光を現す者として歩んでいく、それが飾り以上のものとして伴うのです!

 私こそ「聖徒」と呼ばれるに相応しい、清くて正しくて美しいクリスチャンだ、そう思い込むはほとんどないと思います。反対に「いやいや、私なんて『聖徒』と呼ばれる資格もありません」というものでもなく、主イエスが「聖徒」と呼んでくださることを大切にしていきたいのです。



20150524
(約250字のメッセージのエッセンスは、コチラ

 タビタのことをドルカス(かもしか)と、わざわざ聖書がここで名前の説明をしています。それは、タビタがドルカスとしてその名の通りに生きたということでしょう。旧約聖書で「かもしか」は、美しい、優しい、すばやい者の比喩として用いられているそうです。つまり、きびきびしているしなやかな行動力があるということでしょう。

 ドルカスは、人に仕えることに躊躇しない人でしょう。だからと言って押し付けがましくなく、自然に優しさを表現できる、それゆえに美しい、そういう仕え方をしたのだと思います。祈りつつ、一縫い一縫い、愛を持って縫っていったのでしょう。おそらく針仕事で傷だらけだったと思うその手は、ネイルサロンに行ってきれいにしてもらうのとは違う、命の美しさが現れている手だと思うのです。



 三浦綾子さんが、『続氷点』で紹介している言葉は、ドルカスにぴったりですね。「人が一生を終えたあと残るものは我々が集めたものではなく、我々が与えたものである」



 人はみな一度、死ぬのです。何故、主なる神は、ペテロを通してドルカスを生き返らせたのでしょうか。・・・・・それはドルカスの死によって、ヨッパの兄姉の信仰が後ろ向きになっていたからでしょう。ドルカスの死を悲しみ悼むことは大切なことです。しかし教会全体が悲しみに停滞し、死に支配され、まるで復活の主がおられないかのように閉じこもっていたのでしょう。だから信仰を持って前向きに、復活の主と共に生きることを教え、励ますために、ペテロが用いられていったのです。

 ドルカスの出来事を通して、9:31にあるように、迫害や困難があったとしても、聖霊によって励まされて前進していく教会の姿をヨッパの兄姉が取り戻したように、私たちも同じ聖霊に満たされて、励まされて歩んでいこうではありませんか。



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