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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

「祈っています」ではなく

 6月最初の礼拝をご一緒に捧げました。久しぶりに集えた方が元気そうで何よりでした。午前中は風邪と疲れのために休まれていた方が、癒されて快復して、夜の礼拝に来られて感謝でした。

 きよめられていくとは、どういうことでしょうか。まさか潔癖性になることではありませんし、完全無欠の間違いを犯さない人になることでもないでしょう。きよめられるということの大きな意味の1つは、主イエスの姿に似る者となるということでしょう。主が愛されたように、私たちも愛し合うこと。主が忍耐深く歩まれたように忍耐をもって歩むようになるということ。主がへりくだって歩まれたように、私たちも謙遜に生きる者に、聖霊がそういう力を与えてくださいます。きよめられると、そのように聖霊なる神によって、心や優しい主イエスの姿を内に宿していくことになります。




(礼拝で賛美しました。ペテロの見た敷布の幻と、
 この賛美の歌詞が重なっていました♪)

 キリスト者の祈りと、一般の方々の祈りの違いは何でしょうか。多くの方々は無病息災を祈ります。私たちも病いの癒しを祈ります。多くの方々は商売繁盛を祈ります。私たちも職場の祝福を祈り、毎月の必要が満たされ支えられるように祈ります。多くの方々は家内安全、交通祈願を祈ります。私たちも家族の祝福、車に乗ったら加害者にも被害者にもならないように一言祈ります。では、キリスト者の祈りと、一般の方々との祈りの違いはどこにあるのでしょうか。

 もちろん誰に祈っているのか、という祈りの対象は決定的に違います。そして祈りの内容の大きな違いは、様々な願いを申し上げた後に、「主の御心がなりますように」と祈りを結ぶことができるということでしょう。

 主との祈りの中で、主の御心がなることを求めます。また主との祈りの中で主の心を知ります。そして主の心を持って生きる者に変えられていくのです。



20150607
(250字のメッセージ・エッセンスは、こちら

 私たちは共に主の名で祈り合いたいのです。キリストの体として、キリストの心を求める者として、初代教会が祈り合っている中に、聖霊が注がれ、主の業がなされていったように、もっと私たちは主の名で祈り合いたいのです。

 「祈っています」という挨拶ではなく、その場で一緒に祈り合いたいのです。礼拝や祈祷会の中で、祈り合いたいのです。私も皆さんのためにさらに祈り続けていきたいですし、同時に私のためにも祈っていただきたいのです。私には、決定的に皆さんの祈りが必要です。

 そうやってキリストの教会がお互いのために、主の心で主の名で祈り合う時に、ますます主の教会として、主の愛が溢れ、主にきよめられ、主の力を体験し、主がここにおられるという主の業を体験していくのです。



 先週、キリスト教会にとっては、残念な事件がニュースとなりました。「きよめる」と言って神社仏閣に油を巻いた方がいます。違法を行っているという意識が無かったのかもしれません。コルネリオのような敬虔な信仰を持った歩みとは思えません。
 
 聖霊が「油をまいてきよめよ」と言ったらしいのです。もし本当にそういう聖霊の声を聞いたとしたなら、それは聞き間違いです。(聖書は偶像に捧げた肉を食べても問題ないとさえ教えています)神社仏閣、偶像、外からのものが私たちを汚すのではなく、内側の罪が自分自身を汚すと聖書は教えています。人が油をまいて何かをきよめるのではなく、神がきよめるのです。きよめの業は神によります。「聖霊がこう言った」「夢で、幻で、こういうメッセージを受け取った」という内容と聖書が一致しているかどうか、そこがポイントです。

 ペテロが祈りつつ夢見心地になって見た幻、聞いた主の声は、かつて主イエスが語られた言葉と同じだったのです(マルコ7章)。




(最後に賛美した「栄光から栄光へと」。
 この歌詞のようにと願いつつ賛美しました)

 愛する兄姉、あなたは「きよくなりたい」のでしょうか。それとも「きよく見られたい」のでしょうか。愛する兄姉、あなたは「愛をもっていきて生きたい」のでしょうか。それとも「愛の人に見られたい」のでしょうか。愛する兄姉、あなたは「よくなりたい」のでしょうか。それとも「よく見られたい」のでしょうか。前者と後者は微妙な違いのようで、実は天と地ほどの大きな差があります。

 「主よ、よく見られたいのではなく、真実に、よく生きたいのです」、「主よ、優しい人と思われたいではなく、あなたの愛をいただいて生きていきたいのです」、「きよく見られたいのではなく、キリストの十字架の血潮できよくされ、ますます主の愛、主のへりくだりを内に宿していきたいのです」、そして「心から隣人を、兄姉を愛していきたい」、「主の十字架から流れる主の愛を豊かに注いでください」と、真実に主の十字架を見上げて聖餐の恵みに与ろうではありませんか。



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