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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

ためらい

 いつもは、礼拝が終わった後に、この「礼拝メッセージの断片集」を記しています。それは説教原稿と、実際に話した言葉や内容が少し変わることが多いからです。

 ただこの日の礼拝後、「北見 三浦綾子読書会」を終えて、私たち夫婦はすぐに女満別空港に向かって出かけているために、説教前にこの断片集を記します。だから、「あれ?そんなこと話してたかな?」と思われたらゴメンナサイ!

 自分が絶対被害者の立場、あるいは正義の立場に立つ時こそ、ためらいが必要だと思います。100%の被害者感情は、必ずと言っていいほどに、加害者へとなっていきます。何のためらいもなしに、一刀両断で他者批判をする、そういう風潮の中で、一歩退いて、自分自身を省みる「ためらい」という心の機微を私は大切だと思うのです。

 しかし前に進むための「ためらい」、深く物事を見つめる「ためらい」ではなく、その場に沈み込んでしまう「ためらい」、抜け出せなくなってしまう「ためらい」もあります。「躊躇い傷」という言葉があるのをご存知でしょうか。「自死しようとして体につけた、致命的ではない傷。また、その傷痕」のことだそうです。変な「ためらい」を持ち続けていくと、命が枯れてくるということもあります。



20150614

 ためらってしまうのは、主の思いではなく、自分の思いや考えにこだわっているからでしょう。ためらってしまうのは、主の言葉や思いではなく、自分の思いを握っているからでしょう。ためらいの多い信仰生活は、心がいじいじいじいじしてきます。

 大切なことは、主の思いを思い巡らすことです。主の言葉を思い巡らす時、ペテロにされたように私たちにも聖霊が教えてくださいます。聖霊の細い声が内側から聞こえてきます。耳ではなく内側から確信を与えるように聞こえるのです。主の思いを知るのです。



 様々な出来事の中に、神の主権を認めていく時、私たちの前に恵みの世界が広がっていきます。主への信頼が強められていきます。



 信仰の歩みは、全てを納得して行動するということではありません。分からないことはたくさんあります。納得ではなく、主を信頼して進んでいく、これが信仰の歩みです。アブラハムも行き先を知らないで、生まれ故郷を後にしたのは、主を信頼していたからです。主と主の言葉に信頼する者は、失望に終わることはありません。むしろ主の大きな業を体験する者となります。



 今日の夜は、美幌で「世の光ラリー2015 in オホーツク」があります。テーマは「希望のことばをいだいて」です。前売り、当日券も関係無く、入場は500円とのこと。ぜひ期待してお集い下さい♪

20150616世の光ラリー
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