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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

心ひそかに安心

 先日の「北見 三浦綾子読書会」で、13章の「教会というところ」を教会で読んだことがとっても面白かったのです(詳しいレポートは、コチラ)。例えば、教会でクリスチャンたちが祈る様子を、綾子さんは「カッキリ」と目をひらいて疑いをもって見つめ、以下のように思ったとのことでした(14章「伝道の書」より)。

(ほんとうにこの人たちは、神の前に祈っているのだろうか。もしわたしが神を信じているのなら、神の前にあるというだけで、祈りの言葉など出てこないような気がする。ほんとうに神が、この世をつくり、この世を支配しているほどの偉大なる存在であれば、どうしてその畏るべき神の前に出て、べらべらと口が動くだろう。こちんこちんに固くなって、ぶるぶるふるえるのがほんとうではないだろうか。この人たちは神の前に祈っているのではなく、人に聞かせるために祈りの言葉を並べているだけではないのか)



 この文章を教会で読むんですから、その面白いこと(笑)後に綾子さんは「傲慢な思いを持っていた」と振り返っておられますが、上記のことは「本当にその通りだなぁ」と私も思うのです。

教会は・・・

 祈りというのは神に向かうものであって、誰かに聞かせるものでは決してないでしょう。誰かに聞かせる祈りは、主イエスが最も叱られたパリサイ人、律法学者の祈りでしょう(マタイ23:14、)。もちろん声に出しての祈りも聖書は教えていますし、代表の祈りは人様に聞かせることが主目的ではなく、共に神の前に出るためのものでしょう。

 また教会にいる人々の「聖人」ではない姿を見て心ひそかに安心して「あの人たちを信者として受け入れてくれる神なら、わたしだって或は受け入れてくれるのではないか」と思って、綾子さんは聖書を読み始めたのだそうです。

 そういう意味では、私たちの教会も大いに安心できますよ♪ 明日は礼拝です。どうぞ安心してお出で下さい!

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