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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

どうして私などが

 日曜日は暑い日となりましたが、心も内に燃やされる礼拝でした。礼拝の中で4組の海外宣教師のために祈るひと時も持ちました。愛餐会(昼食)、分かち合い、夜のⅡ礼拝と、豊かなひと時でした。

 午後から次週の「第3回チャペル・フェスティバル」に備えての練習をされていたのですが、窓を全開に開けていたので、きっと向かいのマンションの方々に大きな声が届けられていたと思います。普段は静かなので、たまには教会から賛美が聞こえてくるのもいいですよね? Oh Happy Day♪

 形だけの関係って、むなしいものです。機械的な挨拶、とりあえずのお礼、そういうもので心は通い合いません。礼拝で賛美はしているものの「立ち上がると足が痛いんだよね〜」というシブシブだと、主も悲しいですよ。もちろん足が痛い時は、座ったままでもいいですよ。でも「手が自由だから、手拍子しよう。手を上げよう」という、そういう心からの姿勢を主は喜ばれます。主の祈りや使徒信条も呪文のように唱えるのではなく、心から祈り、告白していきたいのです。

 聖霊は「いのちの御霊」と呼ばれているように、私たちと主なる神との関係にいのちを与えるのです。形式ではなく、生き生きとした、血の通ったいのちの関係を与えます。神の言葉をしぶしぶ、いやいやではなく、心から受け入れて応答していく、そういういのちを与えるのです。



20150719
(250字のエッセンスは、コチラ

 ペテロは、相手からとがめられても、大きな興奮して言い返したわけではありません。相手が感情的になっているからと言って、ペテロも一緒に感情的になっていません。また支離滅裂に語ったのでも、大言壮語して話しを盛ったのでもありません。

 聖霊の恵みに与っているペテロは、事の次第を順序正しく説明したのです。嫌にならず、力まずに、事実と事実として、本当の力が聖霊によって与えられて、愛を持って語るのです。



 「どうして私などが神のなさることを妨げることができましょう」とペテロは言いました。自分の偏見、思い込み、荒々しいい態度、怒りの姿勢、臆病、そういうものが神の働きを妨げることがないようにという慎み、へりくだりをペテロは聖霊によって持っていたのです。



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