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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

どんなに大きくても

 この前の日曜日は、まさにお祭りのような1日でした。聖書的に言えば祝典ということでしょう。チャペル・フェスティバルは、1部のワーシップタイム(礼拝)から2部のフェスティバルタイムへと続き、子どもも入れると40名を超える方々が集われました。

 2部の様子は今週中にお伝えできると思います(予定)。私は1部に全力を注ぎ、2部は「楽しみ、喜ぶ」ことに全力を注ごうと決めていましたが、何から何まで全身全霊の大全力となりました(笑)以下はワーシップタイムのメッセージの断片集です。

私たち人間は、叫びながら、泣きながら生まれてきました。赤ちゃんが泣かなかったら、お尻を叩いてでも泣かすものです。人は叫び、そして祈ります。自分の思いを知って欲しい、私はここにいる、存在の叫びです。存在が叫ぶのです。そういう私たちの祈り、叫び、時には声にならない無言の叫びを誰に向かって、そこに向かって叫ぶのでしょうか。その方向性が、叫ぶ相手が大切なのです。

 主なる神は、私たちの叫びと祈りを聞いてくださるのです。主なる神に向かって叫び祈る声を聞き、あわれんでくださる、助けてくださるのです。時には声にはならない私たちの心の叫びもつぶやきも、主なる神に向けられるなら、主は聞いてくださるのです。無視なさることはありません。



20150726
(250字のメッセージのエッセンスはコチラ

 主は私たちの叫び声を聞いておられます。しかし人は、神の声を聞かなくなってしまいました。聖書を通して、主は語りかけているのに、人は主なる神の声を無視しています。それが罪なのです。神から離れ、背を向け、神の声を聞こうとしない状態、これこそが罪なのです。私たちが自分の叫び声を無視されると悲しいように、主なる神もとても悲しいのです。なぜなら主なる神は、私たちの造り主だからです。



 アウグスティヌスは、「人間の心の奥底には、神にしか埋めることのできない空洞がある」、「人はまことの神のもとに立ち返るまで、心に平安を得ることが出来ない」と言いました。それは彼の体験に基づくものです。

 私たちの心を埋めることができるお方、それは救い主イエス・キリストです。「いやぁ、私の心の空洞は大きくて、私の過去の痛みはあまりにも深くて、とてもそれを埋めることができない」、そう思っている方がいるでしょうか? 安心してください。その大きな心の空洞は、神を受けいれる皮袋です。それが大きければ大きいほど、主なる神はキリストを通して喜びや希望であふれんばかりに満たして下さいます。

 

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