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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

透けて見える

 8月最初の日曜日は、体調を崩されている方もおられる中でしたが、十字架の主を見上げる時となりました。礼拝の中で、今日手術をされる方のために、休まれている方々のためにも心を注いで祈る時を持ちました。

 礼拝後にこの日が賞味期限の「うなぎパイ」を食べながら、先週のチャペル・フェスティバルの感謝を数えつつ、次回に生かしていくための改善点を分かち合う時を持ちました♪

 夕方、体調を崩されている方のお見舞いに行ってきました。見えないところでも、愛をもって忠実に歩まれています。主の癒しを切に祈りました。

 夜のⅡ礼拝は、午前中が仕事で来れない方々のために開いていますが、最近は仕事で来れないその方々が参加されることも少なくなりました。それでも集われる方々と共に、本来は座られている方々の姿を思い浮かべながら、そして主の支えと導きを信じて祈りつつ、リラックスしながら礼拝を捧げています。

 「自分の気持ちは誰も分かってくれない」、そうやって私たちは自分の殻に閉じこもりやすいものです。自分の悲しみ、自分の痛みにこだわりやすいのです。しかし、主の悲しみをどれほど知っているでしょうか。主なる神の気持ちを、心を痛めるほどに、私たちを愛する主なる神の心を知ろうとしているでしょうか。大切な問いかけです。


 

 注意していただきたいことがあります。ノアは「正しい人であって、全き人であった」、新共同訳聖書では「神に従う無垢な人」と訳されています。そういう正しい人だから、ノアは神の心にかなっていたということ ではありません。ましてや、ノアは正しい人だから神と共に歩むことができたということでもありません。

 はい、何人かの顔に大きく「?」が出ています。そういう顔、大好きです(笑)ありがとうございます。

 ノアは正しい人だったから、神が共に歩んでくださったのではありません。ノアは神と共に歩んだからこそ、悪い時代の中で悪に染まらず正しく生きることができたのです。この順番は、とても大切です。



20150803
(250字のエッセンスは、コチラ

 ノアはその生涯で大きな箱船を作りました。しかしその箱船はもうありません。ノアの生涯を描写している聖書は、大切なこととしてノアは主の心にかなっていた、ノアは神と共に歩んだ、主と共に歩んだと記すのです。

 私たちの生涯の終わった時、私たちの人生の記録が、何か大きなことをしたということや目に見えるもの、あるいはどんなに偉大な業績を残したかということ以上に、「この人は神と共に歩んだ」というものであったならば何と幸いなことでしょうか。私たちの日常の生活を通して、キリストが透けて見えるような歩みです。私たちの力が強いとかそういうこと以上に、「あの人にはキリストが共にいる」と周囲が認めるようなそういう歩みです。「共にいるキリストが励まし、強められたから、あのような中でも希望を持って歩んでいけたんだ」、そういう「主が共にいる」という日々を聖霊によって過ごさせていただこうじゃありませんか。



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