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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

ハムのようにではなく

 大砲の音で目が覚めた9月第2週の日曜日。「運動会かなぁ」と思っていましたが、どうやら秋祭りのようです。教会も負けじと(?)、祝祭の意味を込めた礼拝を捧げました。

 礼拝の中で茨城県常総市や宮城県の被災者のために祈るひと時を持ちました。

 午後からの三浦綾子読書会では、S先輩とAさんが初出席。S先輩は、さすが文学部の出身でした。国語の授業のように表にして書き出したいようなことを話されて、とっても驚きました!

 ノアの出来事として、失敗の出来事が記されています。聖書はノアを英雄視しているわけではありません。同時に「ノアのように酔っ払って失敗してしまってはいけない」ということを一義的に教えているのでもありません。その証拠に、ノアに対する神の叱責の言葉は、聖書のどこにも出てきません。

 このノアの失敗の出来事を通して、主なる神が私たちに教えようとしていることは、ノアの恥を覆う愛のマントがかぶせられたように、私たち一人一人にも愛のマントが必要だということです。それはアダムとエバの革衣を思い出させます。



 私たちは自分のことを棚上げして、人のことをとやかく言うことがあるかもしれません。大切なことは、棚上げではなく棚卸しです。相手の非を責める前に自分の心の中を総点検する必要があります。



20150913

 酔っ払って眠っているノアの知らないところで、ノアにマントが被せられていました。私たちもまた、自分で気づかずして、まわりの人々にカバーしてもらって生きているのでしょう。私たちの知らないところで、私たちのために祈って下さっている方がいます。そのように、誰かにそっと祈られている、助けられている、そのことも愛のマントでしょう。



 セムやヤペテのように、愛のマントを人々に被せていきましょう・・・・、そういうお勧めを今朝は一切していません(アーメンと言われた方、ゴメンなさい。そのお勧めはまた別の機会にします)。また反対に、私たちはハムのようになってはいけない、そういうお勧めをも一言もしていません。頭の上に「?」が見えます(笑)

 ノアを見てハムがその姿をあざわらったことと、そのあざわらったハムを見て「私はハムのようにはならない」という思いとは、根本的につながってしまうのです。

 セム、ハム、ヤペテ、この3人の中で、最も愛のマントが必要なのは、ハムの心だ、そこに目を留めて頂きたいのです。ハムのようになってはいけないではなくて、このハムの心こそ愛のマントで覆って頂かないと、ハムの心は変わらない、そこに痛みを覚えながら目を留めて頂きたいのです。

 そして結論は、私こそ、ノアであり、ハムだということ。神の愛のマントを私こそ必要としているのです。私は主の愛に包まれたい、もっともっとあなたの愛の深さに覆われたい、そのように初めの愛に帰っていきたいのです。



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