FC2ブログ

北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

誰があー言った

 天気の良い秋晴れの日曜日でした。賛美と祈りが空高く、天の父なる神に届き、また神の言葉を味わうひと時となりました。礼拝の中で、この日の北見市長選挙のため、前市長の痛みを覚えつつ、利権の争いではなく次の世代のための市政になることを祈りました。

 午前とは一転、午後から雷雨のひと時がありました。その雷雨のおかげで畑仕事が中断となり、たとえ少しの時間でも主なる神に近づきたいと、English Serviceに集われたMさんがおられました。

 日本人はキリスト教会に対して、様々なイメージを持っております。西欧のカトリック的な厳かさ、パイプオルガン、静寂、そういうイメージが多いようですね。先週集われたMさんの娘Hさんも「賛美歌が、キャッチーな歌で驚きました」と話されていましたね。

 私たちキリスト者も、何となく教会に対して体験的なイメージを持っているものです。しかし大切なことは、私たちのイメージではではなく、聖書が教える教会とは何かということです。私たちはいつも聖書に帰るのです。今朝の聖書箇所では、教会は「キリストの体」だと教えています。キリストのものである、キリストの教会に、私たちはつながっているということです。



20150927
(250字のエッセンスは、コチラ

 信仰は聞くこと、聞くことはキリストの言葉からだと聖書は教えています。いろんな人がいろいろ言うでしょう。もちろん耳を貸す必要も大いにあります。しかしキリストの教会が一番大切にしたいことは、キリストが何と言われているかということです。誰があー言った、こう言った、あの人が何をしたかということ以上に、主イエスの思いはどうだろうか、主イエスが私たちのために何をしてくださったか、そこにいつも立ち続ける、それが主イエスを信じる者の集まりである教会なのです。

 主イエスの言葉を聞く時、不信仰ではなく信仰が生まれてきます。真実にお互いがキリストの言葉を聞き、キリストを見つめる時に、さばきや批判ではなくキリストの愛がそこに現されていきます。



 キリストの教会に現される神の偉大な力を排除していく時、予想通りの、あるいは予想以下の自分の小さな実力で生きていくことになります。私たちの神は小さな神ではなく、偉大な神です。キリストの体であるキリストの教会に、神の全能の力の働きを現したいというのことが神の思いです。



にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 北見情報へ
にほんブログ村

日記 |
| ホーム |