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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

自分の思い通りではなく

 先週は北海道には訪れないはずの台風の襲来により、オホーツク地域でも河川の堤防の決壊、農地の冠水、住民への避難勧告が出た地域もありました。大きな川がそばにある教会と心配していた教会員の皆さんには、被害や混乱はなかったようです。

 私はと言えば、本当は東京出張だったのですが、飛行機が早々と前日に欠航を発表し、Skypeでの委員会参加となりました。集まった皆さんには申し訳ありませんが、行き帰りの労力がいらないと、かなり「楽」ですね。

 さてこの日の礼拝は、Aさんが奏楽デビューをされました♪前日以外にもよく練習され、当日は楽しみながら奏楽されておりました。礼拝の中でこの週から新しい職場で働き始めるMさんのために、また10月の誕生者の祝福を祈りました。午後からは各自が持ってきたお昼ごはんをいただきながらシェアの時を持ち、三浦綾子読書会、Ⅱ礼拝と続きました。

20151011
(250字のエッセンスは、コチラ

 神によって造られた神の作品である私たちは、自分の思い通りに生きるのではなく、造り主である神の思いに生きていくことが大切です。・・・・

 今、思うようにならないことを抱えている兄姉、気持ちはよく分かります。共に読み続けているヨブもそうですよね。しかし今朝、自分の思うようにならないところは、神の思いがそこに現されるという希望を持とうではありませんか。そして思うようにならないところを通ったからこそ知る得る、神の愛の広さ深さを体験させていただきましょう。



 キリストに聞くために聖書を読むとは、調べものをするように「聖書はなんと言っているのか?」と聖書を読むのとは違います。ましてや「1日1章」だから、昨日は読まなかったから今日は2章、明日の分まで3章、というようなノルマのように読むのでもありません。さらに「良い言葉、ためになる役立つ言葉があった」というように、情報(インフォーメション)を得るように聖書を読むのも違います。誰かに「いいね!」と言ってもらうための神の言葉でもありません。

 主が私たちの名前を呼びながら、人格的に私たちに語られる言葉として主の声を聞きながら、神の言葉を読むのです。自分で聖書を読み、自分で祈り、そして他の誰でもない自分に語られる主のみ声を聞くのです。その時、今まで見えなかった主の恵みが見えてきます。信仰が湧き上がってきます。



 神の作品として、私たちは良い行いをすることができる者として造られました。ポイントは、私たちが思う良い行いではなく、神が私たちに備えてくださる良い行いをする者として造られたということです。

 だいたい私たちが思う良い行いというものは、的がずれてしまっています。何度も言いますが「自分は良いと思ってやったんです」と言いがちですが、当然です。それは言い訳にはならないのです。「私は悪いと思ってやったんです」と言うならそれは相当のワルですよ(笑)自分が思う良いということと、神の良いがずれている、そこに気づかされ聖霊に教えられる必要があります。



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