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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

ひっくり返る

 前の週に、私は山間部にいたために雪に見舞われましたが、この日はとても穏やかな日曜日でした。午後から大掃除をしましたが、まさに大掃除日和でした♪朝の礼拝と夜のⅡ礼拝のメッセージの断片集です。

 先週の横浜のマンション問題がニュースで報道されていました。杭が支持層という強固な地盤に届いていなかったこと、セメント量のデータの偽装があったようです。見えない部分がしっかりと強固な地盤に届いているかどうかで、沈下や傾きが起こるということです。

 教会の礎石、地盤はキリストです。そして使徒や預言者が土台だと教えています。使徒や預言者は神の言葉を語りますから、神の言葉が土台と言っても良いでしょう。「誰かがどう言った」という人の言葉ではなく、神の言葉にいつも立つ、それが教会です。そしてキリストにしっかりと杭を打つ、そういう教会、キリスト者の歩みが大切です。



杭

 先週、私たちは神の作品として、自分の思い通りではなく、造り主である主の思いに立つことが大切だと確認しました。自分の思いなのか、神の思いなのか、その違いはどこで明らかになるでしょうか? また自分は今、神の希望に生きているのか、自分の願望に生きているのか、どうやって見分けることができるでしょうか?

 1つのヒントは、ロマ書5章にあるでしょう。患難や苦難が忍耐を生み出し、忍耐は練達を、練達は希望を生み出し、希望は失望に終わらないと教えています。もし私たちが患難や苦難があった時、もうだめだと失望してしまうなら、神の希望ではなく自分の願望に立っていたのかもしれません。神からの希望は、苦難の中でも失望に終わらない希望です。聖霊によって神の愛が注がれているから、失望に終わらないで、さらに強められていく、それが神の希望です。



20151018
(250字のエッセンスは、コチラ

 聖書を読んでいて、ひっくり返りたくなるところがあります。エペソ2章の後半もその1つです。キリストによる平和とは、敵が滅ぼされて得られることではなく、敵意が滅ぼされて得られるものだということです。「not enemy but hostility」(通じてますか? 笑)「敵」とは、他者のことです。「敵意」とは、敵を作る自分の心の思いのことです。

 私たちは自分を攻撃する、批判する、あの人が、相手が変わること、また状況が変わることをまず願います。相手の罪が滅ぼされること、間違いが正されることを求めます。しかし主イエスは、相手ではなく、私たち自身の内側が変わることを何よりも願っているのです。神と人とを隔てる、私たちの内にある敵意、罪を主は十字架によって廃棄されたのです。



事実≠真実

 何度か紹介していますが、私は常々「事実≠真実」ということを心にとめています。事実は確かに大切です。しかし事実だからと言って、それが真実だとは言えないということ、また真理である神につながっていないこともあるということです。

 例えば、アダムは「あなたが与えたこの女が、この実を取って食べよと言うので私は食べた」と言いました。これは事実です。アダムは嘘をついていません。神がエバを与え、そのエバが取って食べよと言った、それは全部そのまま事実です。

 しかし最後の選択は自分がしましたというこという認罪、「主よ、申し訳ありませんでした」という悔い改め、その2つこそがアダムが真実に見つめるべきことのはずです。アダムは確かに事実を並べていますが、人のせいにする、神のせいにするという責任転嫁を繰り返し、そして一番の核心の部分は言わない、認めない、悔い改めない、都合の悪いことは隠すのです。

 つまり事実を言っているようですが、これは真実ではありません。真実に生きているとも言えないのです。結局それでは、真実な神との間に隔ての壁ができてしまいます。そして人と人との間にも隔ての壁ができるのです。

 過去において、あの人があなたにそう言ったことは事実でしょう。あんな嫌な思いをしたというのも事実でしょう。辛いところを通ったのも事実です。その痛みが癒やされることを切に祈ります。 

 しかし同時に、私たちはそこで本当に見つめるべき真実を見つめているでしょうか? 何か護摩化していないでしょうか? ただ周囲のせいにして、境遇のせいにして責任転嫁していないでしょうか? 真実な神はどう思われているでしょうか? 見ないようにしているものはないでしょうか?・・・そういうところをこそ真実に見つめたいのです。自らの内に隠しておきたいこと、恥ずかしいこと、誤魔化しておきたいこと、そういう隔てにつながる内にある敵意をこそ、キリストの十字架の血潮によってきよめられ、隔ての壁が壊され、真の平和が神との間に、人々の間に与えられていくのです。



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