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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

承認から証人へ

 10月最後の礼拝となった日曜日、体調を崩していたお2人の方が癒やされて、また回復しつつあり、ご一緒に生ける神を見上げました。午後からは、English Service1周年を持ちました♪ 主の恵みを味わう、主の大庭にいる1日でした。



 メッセージの主題に合わせて「主よあなたにとらえられて」を賛美しました。上記の英語の歌詞は違うものですが、この曲調、心に沁み渡ります。(「主よあなたにとらえられて」の英語歌詞は「Make me a captive, Lord」です)以下は礼拝メッセージの断片集です。

 私たちは状況が代われば、いつの日か喜びがやってくると思い込んでいることがあります。もちろん、状況が変わって大いに喜んでもいいのです。しかし状況が変わらなくても、それでも喜べる、そういう喜びを主イエスが与えてくださるのです。

 パウロは、獄の中にいました。しかしパウロに与えられたこの救いの喜びだけは、たとえ獄の中にいても奪われなかったのです。主イエスが与える命の喜びは、私たちの周りの状況によるものではなく、キリストによる救いの喜びだからです。どんな状況の中にあっても、その根底においては生まれてきたことを、生きていることを感謝し、喜ぶことができる、それがキリストが開いてくださった救いの喜びなのです。

 もちろん、主イエスを信じていても痛みはあります。やっかいなこともいろいろあります。しかし覚えていただきたいこと、それは真実の喜びというものは、痛みや苦しみと共存できるということです。痛みや苦しみがなくなって、初めて喜びがあるというものではありません。今、痛みがある方、この初めの愛、救いの喜びを思い起こそうじゃありませんか。



20151025
(250字のエッセンスは、コチラ

 人の心には、承認欲求があります。自分が認められたい、自分のことを「いいね」と言ってもたいたいのです。しかしどんなに多くの人に「いいね」と言ってもらっても、私たちの魂は満足しないのです。むしろ、さらに多くの「いいね」を求めずにはおれなくなり、心は安定しませんし、かえって不安が増していきます。なぜなら私たちの命、魂は、神によって造られたから、神の愛によってこそ満たされるのです。今日も私たちの名を呼び、私たちを愛する主の愛を覚える時、私たちの命は満たされます。

 たとえ誰かに「いいね」と承認してもらわなくても、主が私の存在を認めてくださる、そのことを人格的に深く知る時、私たちの内側は満たされるのです。満たされるとは、主の愛が溢れ出ていくということです。他の誰かにそのことを伝えるということです。

 主の愛の「承認」を全身全霊で受け取れない時、他人から自分を「承認」してもらうことに忙しくなります。その誘惑は大きく、時に白く塗られた墓のように外側は美しくしていても、内側に隠し持っていることも多いものです。それは寂しいこと、痛いこと、悲しいことです。満たされない渇きを抱えたまま生きていることになります。

 しかし朝ごとに新しい主の恵み、初めの愛である主の「承認」を深く受けとめ続ける時(継続です)、内側に主の愛が聖霊によって溢れ、キリストの「証人」として歩んでいけるのです。「承認」から「証人」へ、これは奇跡です。




(礼拝で賛美しました。「我らの主あなたの御名は」)

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