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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

思う壺

 日曜日は、雪が降っていました。まだ根雪にはなりませんが、いよいよだなぁという感じです。この日の礼拝には、川崎から祈りつつ参加された方がおられ感謝です。

 午後からは各自が持ってこられた昼食を共にいただき、恵みの分かち合いの時を持ちました。とっても豊かなひと時でした。2時からの三浦綾子読書会の様子は、レポートに記しています。以下は、礼拝メッセージの断片集です。

 主イエスは弟子たちの汚れた足を洗われました。足を洗うのは奴隷の仕事ですが、それを主がなされたのです。ここにへりくだられた、謙遜の姿があります。受難週の木曜日を「洗足日」と呼び、ある教会では伝統的に洗足式を行い、互いに足を洗い合っています。

 日本では、結婚式の披露宴で「初めての共同作業」とか言いながら、ケーキに入刀をします。しかし海外の伝統的な教会では、結婚式でお互いの足を洗い合うこともあるようです。「病める時も健やかなる時もお互いを愛する」ことを誓うのと同時に、お互いの汚い部分も受け入れ支え合うことを神と会衆の前で誓うのでしょう。

 ただ結婚式の時は、みんなキレイな足なんですよ。誰だって洗い合えると思うんです(笑)本当は毎年、結婚記念日ごとに足を洗い合うのが良いのかもしれませんね。



洗足式

 「謙遜と柔和の限りを尽くして」と聖書は教えています。「限りを尽くす」ということは、出し惜しみしないで最善を尽くすということです。「怒りが頂点に達した」、「怒りMAX」、「超腹立つ」、「イライラせずにはおれない」とうことがあります。しかし「謙遜が頂点に達した」、「へりくだりMAX」、「今、超柔和!」、そんな言葉って聞きませんね。これは人の限度を超えていることでしょう。つまり主イエスから与えられるものです。



20151108
(250字のエッセンスは、コチラ

 「互いに忍び合いなさい」と聖書は教えます。「互いに」が大切です。いつも自分ばかり我慢していると思いがちです。自分が思っている何倍も、実は相手に我慢を強いていることもある、その方が多いという想像力と謙遜さを持ちたいのです。

 「互いに忍び合いなさい」を忘れて、自分は被害者という被害者意識にとらわれるとサタンの思う壺です。これは現代人の陥りやすい罠です。自分のことを棚に上げて、被害者意識にとらわれる誘惑があります。悲劇のヒロインになって、自分が神棚にまでのって、神対して被害者意識を持つ場合があります。被害者意識にとらわれると、そこからは何の良いものも生まれてきません。

 私たちは被害者意識にとらわれるのではなく、キリストの愛にとらわれる必要があります。その時、「互いに忍び合う」思いが聖霊によって与えられるのです。



 喜んで準備して、喜んで大胆に語っていた主のメッセージですが、ここ最近は講壇の上で小さな敗北感のようなものを覚えます。もちろんメッセージの内容には確信を持っていますが、そのメッセージの内容に自分自身がふさわしくない者であることを、思わずにはおれないからでしょうか。主の前に募る申し訳なさと、だからこそ主を切に求める思いが混じりあっています。

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