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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

行きと帰り

 先週の金曜日、I先生を旭川に迎えに行き、安全に北見の隣町まで送り届けるという大役を仰せつかりました。I先生の奥様と幼い2人の子どもたち、そして私たちとで、霜が降り、水たまりも凍るマイナス6度の霧の朝、一路旭川へ向かいました。

 無事に退院・転院の手続きを終え、病院の駐車場で私が一言、帰りの道中の守りを祈る中で、福音書の1つの出来事を思い起こしてその場面が祈りの言葉として出てきました。

 それは中風で全身麻痺の方を主イエスのもとに運んだものの、人々がいっぱいで入れず、それでも屋根を剥いで主イエスのもとに連れ戻した出来事です。I先生の場合、ドクターヘリで病院まで運ばれ、その屋上から専用のエレベータで手術室に運ばれました。

ドクターヘリ内
(ドクターヘリで運ばれるI先生。撮影は奥様)

 福音書の男性は4人に運ばれ、主イエスは「彼らの信仰を見て」と言われました。担架で運ばれたI先生のために、多くの方々が祈りの手を挙げ続けました。また手術には旭川の牧師だけではなく、札幌、江別、また北見からも、所属グループを超えての牧師・宣教師らが集まり、立ち会われました。主イエスは確かに、そういう方々の信仰を見つめておられたに違いありません。

 福音書の男性は、主イエスに癒されて、床をたたんで立ち上がり、行きは天井から、帰りは玄関から喜びながら歩いて帰っていきました。I先生は、行きはドクターヘリで屋上から、帰りはややふらつきながらも歩いて病院の玄関から車に乗り込みました。

入り口と出口
(右は病院玄関口で。左は病室からI先生が撮ったドクターヘリ)

 「行きはよいよい、帰りはこわい」と子どもの頃に歌った童歌とは反対に、「行きはヒヤヒヤ、帰りは安堵」という感じです。安堵と言っても、ひとまずの安堵です。

 「退院じゃなくて転院だから。とにかく動かないように」などなど、帰りの車の中でいろいろと釘を刺していたのですが、小姑のような私の言葉には微笑むだけで、病床で主なる神が語られた主の言葉を私に語ります。

「私たちが滅び失せなかったのは、主の恵みによる。
 主のあわれみは尽きないからである。
 それは朝ごとに新しい」(哀歌3:22)



 「滅んでも、亡くなっても当然だった自分の命。生かされたのは、ただただ主のあわれみ、恵みだ。1分1秒たりとも無駄にはできない」とのこと。

 「駄目だこりゃぁ」と思いつつ、さすが我が盟友とリスペクト。そんなことを思う帰りの車でした。

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