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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

ダメシールではなく

 日曜日に、アドベント第3週の礼拝を捧げました。今年はアドベント(待降節)に入っても、クリスマスの聖書箇所からではなく、エペソ書の講解を続けています。(来週はクリスマス礼拝なので、エペソ書はお休みします)

 礼拝の中で、まさに新しい人を着るバプテスマ(洗礼式)の恵みを持つことができました♪(その様子は、後日にUPします)礼拝後に洗礼のお祝い会、またクリスマスの来会者へのプレゼント準備をしました。以下は、礼拝メッセージの断片集です。

 聖書には、「〜してはいけません」という否定形、禁止事項が多いと感じている方もおられるようです。もちろん十戒などはそういう表現になっています。しかし中心は、主イエスを信じ、共に歩む時、こういう歩みになるという恵みの世界へと招いています。聖霊の証印を受けているということは、その恵みの世界に生きることができるという保証でもあります。



 自己憐憫も偽りを含みます。どんなに自分が不憫な状態にあるのか、少し大袈裟に言うこともあるでしょう。あるいは不憫な状態を事実として述べたとしても、まるでそれしかないかのように、神がそこにおられないかのように、全くの無力かのように思い込んでしまう、それも偽りでしょう。



20151213
(250字のエッセンスは、コチラ

 就職のことで、また経済的なことで必要を覚えて祈っている方、今日から祈りを変える必要があります。「自分の生活が満たされるために、主よ、私の経済を祝福し、良き職を与えて下さい」という祈りから、「主よ、私が働いて得たもので、困っている誰かを助けることができるように。主よ、あなたの働きのために、私の持っているものが用いられるように、大胆に捧げられるように、そのために私の経済を満たして下さい、祝福して下さい」と祈り求めようではありませんか。それが恵みの世界に生きる者の歩みです。



 主イエスは分け与える人生を送りました。もし明日、引っ越しをしなければならないとしたら、私たちは余りにも多くのものを持ち過ぎて、すぐに準備ができません。恐らく主イエスは、自分の持ち物へのこだわりを殆どもっていなかったでしょう。むしろ愛を与える人生を歩まれたのです。

 何度か紹介しています。ジェラール・シャンドリという人が、素晴らしい言葉を残しています。(『続氷点』でも紹介されています)「一生を終えて後に残るのは、我々が集めたものではなくて、我々が与えたものである」



 私たちは自分が悲しい時、何が悲しいかって、その悲しみを誰かに分かってもらえない、そういう時ほど悲しいことはありません。自分の悲しみにこだわりやすい私たちですが、「聖霊を悲しませてはいけません」というこの言葉の重みをご一緒に受けとめたいのです。今朝、聖霊が悲しまれるその悲しみを、愛の悲しみを私たちはどれだけこの身に覚えてきたでしょうか。



 先週の森下先生のメッセジで、私たちはダメシールを貼り貼られるものですと話されていました。主イエスを信じる私たちには、もはやダメシールは必要ありません。聖霊の証印が押されているのです。「あなたはわたしのものだ。何人もおかすことを許さない。天の御国に行くその日まで守り導いている大事な人だ」という神の宣言を表しています。

 恵みの世界を生きているようで、いつの間にか古い性質が顔を覗かせ、行きつ戻りつ、ぐるぐるすしていますが、しかしこちらの恵みの世界を生きられる、その保証として聖霊が与えられていることを忘れないで聖霊に導かれて歩もうではありませんか。



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