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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

にもかかわらず

 (「教会」を「協会」と間違えた原稿に最終的に「OK」を出してしまった私の失敗談シリーズの4番目、これで最終です)

 1年に1度のクリスマス、費用を出し合ってクリスマスの案内を載せる広告なのに、大きなミステイクをしてしまいお詫びのメールを出したところ、はからずも忘れ得ぬ言葉を北見牧師会の先生方からいただきました。最後に紹介したいのは、K先生の言葉です。

「広告の件、了解しました。大きなミスでは有りませんので、お気遣いなさらないように願います。今回の件では、大きな収獲がありましたね。北見牧師会の先生方に、先生が愛されていることを、メールのやり取りでよく分かりました。先生への主からのクリスマスプレゼントですね。感謝!
 北見にある主の教会が、一つとなって主を証しできることは何と幸いなことでしょうか。それぞれの教会のクリスマスの祝福をお祈りいたします。在主」



 ありがたい言葉だなぁと思わずにはおれません。ただ1つだけ補足するなら、私が「愛されている」ことが明らかになったということではありません。私はミスをしたものです。責任を取らねばならないものです。にも関わらず、北見の牧師の皆さんが(司祭や神父もおられます)、赦しという愛を表してくださったということです。

 「愛される」理由など私にはありません。むしろ私は責めを負うべき者ですし、それこそ広告料の全部を出したとしても、いったん配布されたものを回収することはできないものです。しかし牧師(司祭・神父)の皆さんが、共に重荷を担ってくださったのです。

 「私が愛されている」という「私」に主体があるのではなく、神の愛に生きておられる牧師(司祭・神父)の皆さんの内側に神の真実な愛があるということ、そちらが主体だということです。

 「ここに愛がある」(Ⅰヨハネ4:10)のとおり、まさにクリスマスプレゼント、賜物、恵みだなぁと思わずにはおれません。本来、受ける価値も資格もない者であるにも関わらず、神の一方的な善意として与えられる恵み、神の愛、キリスト、まさにクリスマスだなぁと思うのです。

れんぎょう

 今回のことを通して、星野富弘さんの「れんぎょう」に記された詩も思い出し、噛みしめています。

 さあ明日は今年最後の礼拝です。行事としてのクリスマスは終わりましたが、神の愛はこれからも続いていきます。神の愛と恵みを味わう礼拝をご一緒しましょう。

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