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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

すでにありけり

 2015年最後の礼拝を捧げました。クリスマス前後から少々体調を崩しておりましたが、早めに病院へ行くなどし、支えられて奉仕をすることができました。

 記憶は怪しいものですが、今年も体調不良で日曜日の務めができなかった日はなかったのではないかと思っています。祈られ、支えられていることを実感しています。

 礼拝後は、クリスマスの飾り付けの片付けを一緒にし、Tさん、S君、Eちゃんの誕生日をお祝いしました。また大阪にいるTさんから送られてきたお菓子などを美味しくいただきました♪

 以下は礼拝メッセージの断片集ですが、最初の部分と最後の部分だけを載せています。真ん中の部分は、私たちが祈りつつ主に聞きつつしてきたこの1年、主なる神が私たちの教会にどんなに素晴らしいことをしてくださったかを感謝を持って分かち合いました。

 Mさんが洗礼を受けられた思いを短歌にされたので、初めてのことですが触発されて、私も返歌として2つ詠んでみました。1つだけ紹介します。

すでにありけり

 今年の最初は、ルツ記を講解説教しました。「はからずも」の恵みをMさんがしっかりと受けとめておられました。また私がたまたま宮本常一の落ち穂を拾う姿勢を紹介した時に、その前の週に宮本常一の本をMさんが読まれていたことに、不思議な神様の思いを覚えずにはおれませんでした。

 何よりもMさんが落ち穂を拾うルツのように一生懸命に生きてこられたこと、読書会で『道ありき』を共に読み、それは過去形だと森下先生が話されたことが忘れられないと証しされていました。

 三浦綾子読書会の伝書鳩の広告も、はからずも、たまたま目にし、思い切って電話をかけて教会の門を叩かれたのでした。主が備えてくださる道があるということですね。ちなみに真理を「まこと」と読ませ、旧字の「眞」にしたのは、Mさんを意図しているのは言うまでもありません!

 私たちのこの1年はも、自分の思いとは違ういろいろなことのある日々だったかもしれません。しかし自分では意図しない「はからずも」だったけれど、神様はきちんと御心にとめておられました。遠回り、迷い道、寄り道、道なき道のように思えたかもしれませんが、「我はみちなり、眞理なり、命なり」というキリストへの道は、既に設けられていたのです。



20151227
(250字のエッセンスは、コチラ

 「キリストの言葉を聞く」という標語を掲げてきました。旧約聖書には「聞け、イスラエル(シェマー、イスラエル)」と、何度も何度もイスラエルの民に呼びかけています。主イエスも「耳のある者は聞きなさい」、また「御霊が諸教会に言われることを聞きなさい」と言われました。

 聞かなければ聞こえてこない主の声があります。主の声を聞くことで見えてくる、真理、道があります。もう一度、今年の標語を思い出し、味わい、この年末、一人ひとりに語られる主の言葉をじっくりと聞きたいのです。

 今年の標語「キリストの言葉を聞く」は、標語としては今年で終わります。しかしキリストに聞き続けるという信仰の姿勢は、これからも持続していくべき大切なことです。誰が何と言おうと、また自分がどのように感じたとしても、キリストはどのように語られたか、それこそが決定的に大切なことです。

 私たちはこれからも、共に祈りつつ主に聞き続け、「あーこれは主だ、キリストだ」と共に栄光を拝させていただこうではありませんか!



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