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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

I Worship You

【教会員の皆様へ】
 今日のオホーツク地方は、記録的な大雪の予報が出ています。暴風雪の中の通勤、雪かきとなると思いますが、どうぞ全てのことから守られ支えられますように。(ご無理は禁物です)
 今日の午後に予定していた北見牧師会も、幼稚園や学校と同じく前日に休み(来週に順延)が決まりました。明日まで大荒れという予報です。水曜日の午後にまだ警報が出ているようであれば、祈祷会は各家庭でお守り下さい。



 2016年3度目の主日礼拝。出張などで今年はじめて礼拝出席者もおられたので、3度目の新年の挨拶をしました♪

 1月の半ばも過ぎ、電話などで初めて話す方に、「新年の挨拶をしたものかどうか?」とふと頭に過(よ)ぎります。個人的には15日ぐらいまでかなぁと思いつつも、けっこう続いています。以下は礼拝メッセージの断片集です。

 どうしてダビデは、あらゆる時に主を賛美したのでしょうか? それは過去において私を救い助け出し、強めてくださった神は、過去だけではない、今も、現在も、そしてこれからも、未来も、明日も、主は私を助け救い出してくださると信じていたからです。永遠の主をダビデは信じているので、現在の状況に縛られないで、永遠の主を賛美するのです。

 ヨハネの黙示録には、多くの麗しい礼拝の様子が描かれています。その中で、「昔いまし、今いまし、後に来られる方」と永遠の主をたたえています。信仰を昔話にしないで、永遠の主を私たちも見上げて、どんな時も賛美を捧げようではありませんか。



20160117
(250字のメッセージエッセンスは、コチラ

 「そんなに熱心にならなくても」、「月に1回じゃダメなの? 神様は心の広いお方だから、年に1回の礼拝でもいいのでは?」時にそういう周囲の声というものが聞こえてきます。「たまには、そうだなぁ・・・」、「周囲の人たちとお付き合いすることも、証だしなぁ」という思いも沸かないわけではありません(笑)

 しかしある神学者は、「共に集まる礼拝を疎かにすることこそ、証しにならない」と言いました。つまりクリスチャンが礼拝を軽んじると、「キリスト教はいいかげんな宗教だ」と宣言することになるというのです。

 むしろ「あなたの生きる力は、毎週の礼拝にあるんですね」と、周囲の人々が認めずにはおれない、そういう真の証しに生きる者となりたいのです。私たちは本気で主なる神を愛していることを、共に集まって、共に主をほめたたえて、礼拝をささげることで、証していくのです。 




(懐かしの「I worship you」。またいつかの機会に)

 「来なさい。子たちよ。私に聞きなさい。主を畏れることを教えよう」(詩篇34:11)。子どもたちに何を教えるのでしょうか? 教育の土台とは何でしょうか? 知識のはじめ、本当に知るべきこと、それは神を畏れることなのです。

(日本人的に言えば「お天道さまが見ているぞ」に近いかもしれません。ただし主を畏れるとは、恐怖心ではなく畏怖であり喜びや感謝も伴います。また主を畏れる人は、神以外のものを恐れることから解放されていきます。)

 11節以降、主を畏れる時、悪に走らず、謙遜に生きることができる、罪に負けないことを詩篇の作者は教えるのです。



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