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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

喜び、祈り、感謝

 先週の暴風雪を乗り越えて、眩しく晴れ渡った日曜日の朝、共に礼拝を捧げました。Mさんの初孫誕生を皆さんでご一緒に喜びました。

 礼拝後は愛餐会(昼食)、そして「教会の指針」(決算・予算)を確認する時を持ちました。昨年の恵みを数え、新しい年に主がしてくださることへの希望を持つことが出来ました。

 多くなってきた子どもたちも、朝のKid's Churchから夕方まで賛美したり、泣いたり、喧嘩したり、おとなしくケーキを食べたり、運動会をしたりと、教会の中で過ごしておりました。以下、礼拝メッセージの断片集です。

 「いつも喜べ」だから、嫌なことがあっても、何を言われても、いつもニコニコしてれいばいいということとは違います。私たちは喜怒哀楽の感情が与えられていて、聖書は自分の罪に悲しみ、社会の悪を憂い、正義が踏みにじられるときに怒るべきことも教えています。

 それでは「いつも喜べ」とはどういうことでしょうか?・・・・大切なことは、何を喜ぶのかということです。私たちは何を喜んでいるのか、何を喜ぶことを主は願っているのかということです。

 以前にも紹介したウエストミンスター教理問答(Q&A)の第1に「人の主な目的は何か?」と問いかけています。その答えとして、「人の主なる目的は神の栄光をあらわし、かつ永遠に神を喜ぶことである」と聖書箇所を引用しながら教えています。「永遠に神を喜ぶ」、ここが大切なのです。

 嫌なことがあれば、心がくじけることもあります。「最悪〜」と思うこともあります。私たちはその嫌なこと、最悪なことを喜ぶのではなく、何がどう最悪であったとしても、境遇は変わるけれど、今日も変わらない恵みと愛を注いでくださる父なる神ご自身を喜ぶのです。



20160124
(250字のエッセンスは、コチラです)

 Facebookなど、私は牧師を含めたクリスチャンの「祈っています」と文言が、全ての場合ではありませんが、あんまり好きではありません。むしろ一言でもいい、その場で「主よ、助けてあげてください」と祈ることが大切だと思うのです。あるいは今度会った時に、「一緒に」祈ることが大切だと思うのです。「あのことのために今、一言祈ってもいいですか?」、と祈りを共にすることが大切だと思うのです。



 ローマ1:21から、感謝を忘れると、私たちの命や思いはむなしくなり、心が暗くなっていきます。感謝している人で心が暗い人っていないと思います。神が働いておられることを聖霊によって見出しながら、感謝を捧げていく時、私たちの内側が明るくなってくるのです。



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