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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

こぼれるのではなく、あふれる

 1月最後の礼拝、賛美から祈り、祈りから賛美、御言葉から祈りへというように、主の導きの中で捧げることができました。

 夕方のEnglish Serviceでは、youtubeでじっくりと練習された力強いワーシップリード(英語の賛美)に引き続き、私も大胆に「日本語」でメッセージを語りました!(悲しみの中にあるNさんが集われたので、共に悲しみつつ、共に主の名で祈り合いました)

 以下は礼拝メッセージの断片集です。

 あるビジネスマンのクリスチャンが、神様は会社の社長のようだと思っていたとのことでした。ボスである神様の指示に従って、自分は受け持った地区でセールスマンのように働き、上司に電話やメールで相談や報告するように祈りことができる、そんな風に思っていたようです。

 しかしⅡコリント6:1を読んで、まさに「びっくりぽん」だったようです。神様は神の僕である私たちと共に働いてくださる、一緒に働かれる方であることを知ったからです。「1人でちゃんとやれ」ということではなく、今週も主なる神が私たちと共におられ、そして共に働いてくださる、この恵みに感謝しようではありませんか。



20160131
(250字のメッセージのエッセンスは、コチラ

 以前に「あふれる」と「こぼれる」の違いをお話したことがあります。「あふれる」というのは、器の中がいっぱいになって外に出ていくことです。中身は無くなりません。一方「こぼれる」というのは、いっぱいになっていないのに何かの拍子に外に出ていき、しかも中身が少なくなったり無くなったりします。

 1節に「神の恵みを無駄に受けないようにしてください」とあります。恵みを無駄にするとは、まさに恵みをこぼしてしまうことでしょう。日曜日に皆さんで共に礼拝を捧げ、今日の賛美のように本当に恵まれていたはずなのに、しかし何かがあるとつまずいたり、よろよろして、せっかく受けた恵みをこぼしてしまっていませんかということです。



 9節に「見よ」とあるように、神の僕はその恵みを具体的に見ることが出来るのです。何となく、恵まれたような感じとか、気のせいではありません。恵みとは抽象的なものではなく、日々の生活の中で具体的に見えるように与えられていくのです。神の恵みは、日ごとにこの目で見ることができるのです。



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