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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

恋い慕う

 今月の初め、神学校のスクーリングに出かけていました。本当は1週間あるのですが、私は雪国のために1泊2日にしていただき、自分の担当するコース生との面談、1つの講義(90分✕2コマ)をしてきました。

 朝のチャペルでは、神学校の本科生、研究科生、そして通信科生が揃い、とても恵まれたひと時となりました。欲を言えば、本科生だけでこれだけの人数がいると良いですね。

20160202チャペル

 そのチャペルで「365日〜朝に昼に夜に〜」という賛美が選ばれていました。その歌詞の最初が「365日の中で あなたを恋い慕う」となっています。

 時々、神を賛美する歌詞で「恋い慕う」というような聖書の雅歌的な表現が出てくると、私の中ではちょっと違和感と言いますか、気恥ずかしくなります。神学生の頃に年輩の方に、「男女の愛を歌っているような感覚の賛美の歌詞が多い」と指摘されたこともあり、私も頷くものでした。

 ただ昨年、ドイツの実践神学者、ルドルフ・ボーレン先生の下記の言葉を読んで、唸るように考えさせられました。

「隣人愛〜アガペー〜と、感覚的な愛〜エロース〜を、互いに明確に分離してしまい、こう祈り、歌うことを、躓きだとすることは、甚だ危険なことである。

 私を抱き取ってください
 やさしさを込めて
 あなたの腕のなかに
 そうすれば、私は暖まります
 あなたの恵みによって

 聖書は、エロースと性的な事柄を、自分の神に対する神の民の相互関係の本質のうるわしさを言い表すのに、喜んで用いていることを見過ごしにしてきた。信仰は、性を失い、性的なものは、信仰を失ってしまったのである」
(R・ボーレン『天水桶の深みにて』日本基督教団出版局、1998年)



 こういうことをボーレン先生のような方が言われているからこそ、真剣に受け止めつつ考えさせられました。そして真実だなぁと思わざるを得ません。アガペーとエロースの分離は、大いに危険です。それは注意報を通り越し、警報レベルの危険さが潜みやすいものです。

 私は今まで「神」を「父」と呼ぶその関係の豊かさを、大いに強調してきました。同時に雅歌以外にも多く記されている「神」と「イスラエルの民」の親しみ、そして「花婿なるキリスト」と「花嫁なる教会」の豊かさ、この聖書的真理にも立ち続けていきたいなぁと思うのです。


(「365日〜朝に昼に夜に〜」)

 さあ、明日は主を畏れる礼拝であるのと同時に、花婿なるキリストを慕い求める喜びのひと時としての礼拝となりますように(決してバレンタインデーだからということではありません!)。

PS. 明日は猛吹雪の予報が出ています。特に遠方の方は無理なさらず、警報が出ていたら家庭で礼拝をささげてください。

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