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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

セーフ? アウト?

 日曜日は暴風雪という予報が、半分あたりました。前日の土曜日は気温がぐっと上がり、確か8度までいきました。この時期にプラスの温度はご遠慮いただきたい。なぜなら溶けてぐちゃぐちゃになった雪が、アスファルトの残骸のように固くなるからです。

 日曜日の朝方早くから降り始めた雪、そして夜中、業者が除雪してくれた瓦礫のような雪の塊を、礼拝前にかき出しました。ひと汗かいた後の、何とも言えない虚脱さに打ち勝ちつつ、皆さんと一緒に礼拝を捧げました。久々に集われたSさんを皆さんで大歓迎いたしました(笑)

 午後からの三浦綾子読書会に続き、そして朝は体調不良で来れなかったTさんが夜の第2礼拝に集われました。また暴風雪のために来れなかった山奥に住まわれるMさんが、翌日の月曜日、「お祈りをしに教会に行っても良いですか?」と申し出られ、礼拝メッセージの録音を聞かれながら、祈りの家である主の宮で礼拝を捧げておられました。

 以下は礼拝メッセージの断片集です。

 教会に来ると、悪いことをしない、〜しないということが強調されているように感じるかもしれません。こういうことはしてはいけない、「ない、ない」ということであるならば、何もしないでじっとしていることが良いクリスチャンになってしまいそうですね。

 昨年ノーベル生理医学賞を受賞した北里大学の大村智先生は、祖母から「人のためになることをしなさい」と言われて育ったと報道されていました。分かれ道に立った時は、「人のためになるかどうか」を基準に考えてきたというのです。私は大切なことだなぁと思うのです。

 私たちは「人に迷惑をかけてはいけません」、「人からされて嫌なことを人にもしてはいけない」と教えられます。当然です。しかし主イエスは「自分が人からしてほしいと思うことを人にもしなさい」と積極的に勧めました。「人に迷惑をかけるな」ではなく「人を愛しなさい」と教えられました。

 つまり聖書は、「〜してはいけない」「〜しない」でとどまらないということです。今日の主題で言えば、暗闇に生きるなで終わらず、光の子らしく歩めと教えるのです。光の実があるのです。



20160214
(250字のエッセンスは、コチラ

 三浦綾子は『新約聖書入門』で、こんなことを記しています。「私たち人間は、一つ善いことをしただけで何か大きなことをしたような気になったり、自己満足をしたり、恩着せがましい思いになったりするものである」あー、ごめんなさい・・・・私などホントに穴があったら入りたい思いです。



 「主に喜ばれることが何であるのかを見分けなさい」とあるので、「見分ける」必要があります。自分を喜ばせようとしているのか、主が喜ばれることなのか、微妙な場合も無いわけではありません。聖霊の知恵も必要でしょう。

 ある法学者が「法律とは、最低限の取り決めであって、守って当然のことだ」と言われました。法律に触れるか触れないか、そういうギリギリのラインを気にしながら生きていくのは本来的ではないということでしょう。

 私たちクリスチャンの歩みにしても同じでしょう。「これは悪いことか、これは怒られることか、罪だろうか、駄目なこと?」、「セーフか? アウトか?」そうやってグレーゾーンを歩いているなら、神様との関係が命のないものになってしまうじゃありませんか。それこそ「〜してはいけない」という世界に縛られていて、それは光の子どもとしての明るさよりも、何だか暗さにつながっていくようなグレーゾーンの歩みです。

 強調点は、前者の「主に喜ばれること」にもあるのです。私たちは誰かに喜んでもらおうと思って考えて行動することは、喜びが土台じゃないですか。日常の歩みの中で、神様はどんなことを喜ばれるだろうか、これを喜ばれるだろうか、いやこういうことも喜ばれるかなぁ、そのようにワクワクしながら行っていく、それが光の子としての歩みでしょう! 



「明らかにされたものは、みな光となるのである」、何という慰めの言葉でしょうか。



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