FC2ブログ

北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

リスペクト

 あっと言う間の2月、最後の日曜日はとても良い天気でした(その次の日から「数年に一度の暴風雪」となりましたが)。午後からは全体的なプログラムがない日で、Tさんが妻とじっくり聖書の学びをしていました。夜のⅡ礼拝にMさんが来られ、感謝でした♪ 

 以下、礼拝メッセージの断片集です。夫婦についての教えは、自分自身のことも大いに問われるので、語りにくいものですね〜。

 先週「聖霊に満たされない」とエペソ書5章の後半の言葉を信仰をもって聞きました。私たちは聖霊に満たされて、「詩と賛美と霊の歌とを歌いなさい」というペンテコステの恵みにあふれる礼拝をますます捧げたいのです。

 しかし賛美している時にとどまりません。聖霊に満たされた恵みは、夫婦の関係に及ぶことを聖書は教えています。夫と妻との関係、6章からは親子の関係、社会生活において、聖霊に満たされる恵みが及んでいくというのです。



 「妻は夫に従いなさい」聖書は教えます。「従う」とか、「仕える」ということは、決して屈辱的なことではありません。もしそれが嫌なものに聞こえるとするなら、神に従わない歩みを選択した人間の原罪のせいでしょう。

 仕えるということは、「はいはい分かりました、従いますよ」と、嫌々服従することではありません。仕えられるはずの主イエスが仕えてくださったのは、決して嫌々ではなかったはずです。



 従うことと、尊敬することはセットです。妻が夫を見下げること、夫にとってこれほど悲しいことはありません。そこには何の良いものも生まれなません。「あなたって、いっつもそうなんだから」、この「いつも」という全否定の言葉で、夫は自分の立場をなくします。自分の夫を敬うことなく見下げると、夫はそれ以上の人にはなりません。

 大切なこと、それは妻が何があっても真実に夫を敬う、尊敬する、基本的にリスペクトするということです。「いやぁ、そんなことしたら、うちの主人は図に乗ります」、そういうこともあるでしょう(笑)しかし夫は、一番身近にいる人が心から自分を尊敬し、それが真実であればあるほど、それに応えようとしていくのも事実です。



20160228
(250字のエッセンスは、コチラ

 教会はキリストに従します。教会とは私たちのことです。私たちは徹頭徹尾にキリストに従うのです。キリストを従わせるのではなく、花嫁なる教会は、花婿なるキリストに従うのです。教会の働きも私たちの好みや多数決でもなく、ぶれることなくキリストに従っていきます。あの人がこう言っている、この人はあー言っていると、様々な意見があるでしょう。それらを聞くことは大切です。しかし最終的に、いや最初から最後まで、私たちはキリストの言葉を、キリストの声を聞き続け、そこに従っていく、それがキリストの教会の姿です。 



 ドレッシャーという方は、「若い父親のための10章」と言う本の中で、「父親が子どもにできる最善のことは、子どもの母親を愛することである」と記しています。どんなに子どものために、あれをして、これもしてと一生懸命であったとしても、あるいは一家を養うためにどんなに一生懸命に働いていたとしても(それは尊いことですが)、もし妻を愛していることが目に見える形でなかったなら、それは子どものためにも家庭のためにもならないのでしょう。子どもが分かるように夫は妻を命がけで愛していく、それが子どものためにできる根本的なこと、土台となるのでしょう。



にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 北見情報へ
にほんブログ村

礼拝メッセージの断片集 |
| ホーム |