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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

百人百色

 3月第2週の日曜日、朝の礼拝、各自が持ってきたお昼ごはんを食べ、分かち合いをし、三浦綾子読書会を持ちました。クリスマス礼拝以来で出席された方もおられ感謝でした♫

 この日の礼拝の中では、次世代の子どもたちのため、また東北復興祈祷、術後の回復、洗礼式のため、牧師の体外奉仕や特別礼拝のため、牧師を天国に送られた教会とご家族のため、映画上映会と講演会、そして誕生者祝福祈祷と、皆さんと信仰と希望と愛をもって祈るひと時を持ちました。

 教育論は、十人十色、百人百色でしょう。クリスチャンの教育、子育てで大切なことは、聖書の原則論に立つということです。その原則をどのように適応していくのかは、ある面、それぞれに委ねられています。例えば「愛すること」という原則に立つ時、どのように愛するのか、どうすればその子を生かす愛となるのか、年代や状況や性格によって違ってきます。方法論は1つだけではありません。間違ってしまったら、また原則に帰り、その適応は、それぞれの状況の中で、主から知恵と力とをいただくのです。



20160313
(250字のエッセンスは、コチラ

 「子どもをおこらせてはいけません」、聖書は教えています。これは原則です。もちろん、子どもたちの機嫌を損ねないように、子どもを王様のようにして、なんでも思うままにやらせなさいと言っているわけではありません。また、「子どもをしかってはなりません」とも教えていません。さらに言えば「親はおこってはいけません」とも教えていません。「子どもをおこらせてはいけません」なのです。

 さてここで言う「おこらせる」とは、子どもを誰かと比較して、ねたみや恨みを抱かせ、心が歪んでしまうような怒りのことを指しているそうです。確かに良い意味の比較もありますが、教育は比較や競争ではなく、1人の人格を重んじることが原則だということです。



 方法論においては、何度、失敗しても構いません。大切なことは継続することです。育つには、時間がかかります。教育は促成栽培ではありません。私たちだってそうです。聖書の人物もそういうところを通ってきました。理屈で分っていても思うようにはいかない、まさに神の助け、祈りが不可欠です。

 

 教会の次世代の子どもたちが育っていくために、私たち自身を用いていただこうではありませんか。教育にはあれがいい、これがいいという教育論が子どもたちに必要なのではなく、あなたの愛と祈りが必要なのです。実際的なヘルプが必要です。神の家族として、この走り回っている子どもたちの親をヘルプし、子どもたちの名前を呼んで、愛を実践していく力を聖霊によっていただこうではありませんか。



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