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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

気難しくても

 日曜日の礼拝では、九州の被災者のために、海外宣教師のために、また4月の誕生者のためにも祈るひと時を持ちました。礼拝後の愛餐会で美味しい昼食をいただき、幸いな分かち合いをしました。

 その後、ポップコーンや八つ橋、フグせんべいなどのお菓子を頬張りながら、先週、席を譲って観られなかった教会の皆さんと一緒に「塩狩峠」を鑑賞しました。会長が持ってこられたプチマドレーヌが、映画の感動でしょっぱくなりました。

 以下は礼拝メッセージの断片集です。

 礼拝で語られた例話や証しというのは、私たちの印象によく残ります。証しというのは、フルーツの部分、実の部分です。その根底に聖書の御言葉があります。あるいは聖書の言葉が種になっていると言っても良いでしょう。種があるから、実際生活において実を結ぶことができ、それが主の証しとなります。だからまず御言葉を心に蓄えることが大切です。



20160417
(250字のエッセンスは、コチラ

 「理想の上司」ランキングで、池上彰さんが2位だったそうです。分かるような気がします(1位の松岡○造は、熱すぎませんか?)。聖書は、池上さんのような理想の上司に対して、良い先輩だから、優しい上司だからキリストに仕えるように仕えなさい、という条件をつけていません。どんな上司でも、キリストに従う心をもって従いなさいと勧めています。

 気難しい上司を持っている皆さん、今、その人の顔を思い浮かべながら、この聖書の言葉を読みましょう。Ⅰペテロ2:18「しもべたちよ。尊敬の心を込めて主人に服従しなさい。善良で優しい主人に対してだけでなく、横暴な主人に対しても従いなさい」この「横暴な」の部分を口語訳聖書では「気難しい」と訳しています。

 それでは仕方ない、大人の対応としてその場だけは取り繕っておこう、作り笑顔で乗り切って、同僚の方々と休憩時間に悪口や批判で盛り上がるか、家に帰って愚痴でも言おうと思った皆さん、続くエペソ6章6節を読んでみましょう。

「人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方でなく、キリストのしもべとして、心から神のみこころを行い・・・」

 「とりあえず」という逃げ道を聖書は閉ざしています(笑)それはキリストのしもべとしての生き方ではないということですね。キリストのしもべは、目の前にいる気難しい人でも、その人に神の御心を行うということです。神の御心は、愛すること、大切にすること、赦すこと、与えること、「塩狩峠」で言うなら損すること、そういう歩みこそ、主イエスの歩み、キリストの道だというのです。そしてキリストを信じる私たちも、キリストのしもべとして同じ道を歩んでいくのです。

 私たちはキリストのしもべとして、キリストの心をもって歩んでいるかどうか、歩もうとしているかどうか? 大切な問いかけです。そして5章からの流れとして、聖霊に満たされる時、そういう気難しい、ややこしい、しんどい、ストレスになるような人間関係に、善をもって応える力が与えれるというのです。私たちの見せかけの愛は、すぐにカラータイマーが鳴り出します。ならば私たちは、聖霊に満たされてキリストの心をいただこうじゃありませんか。



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