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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

どこに喜びを?

 日曜日は、ペンテコステの日を覚えながらの礼拝を捧げました。礼拝の中で海外宣教師のために祈りました。初めて集われた方もおられ感謝です。子どもたちは、教会の中で相乗効果のように大いに盛り上がっていたので、妻のカミナリが何度か落ちておりました。

 結婚講座を受けているKさんが、Tさんと一緒にデートで塩狩峠に行かれたそうです。話し方が面白く、味わい深く、また長野政雄さんのこともよく記憶されていました。愛餐会(昼食)で美味しい炊き込みご飯とおそばをいただきつつ、KさんとTさんのお話しを聞きながら、「ごちそうさま」という感じでした!

 愛餐会後は片付けと掃除、また網戸を入れました。そういう季節になってきたようです。夜の第2礼拝には、Oさん一家が集われ感謝です♪ 以下は礼拝メッセージの断片集です。

 「悪いものが放つ火矢」と記されています。普通の矢は、体を突き刺してダメージを与えます。火の矢は、体を突き刺すだけではなく、火が体に燃え広がっていくという致命的な損傷を与えます。信仰の大盾で守らないと、不信仰の火が私たちの信仰生活を焼き尽くしてしまう可能性があります。また不信仰、疑い、不信感などの火は、自分だけではなく周囲の方々にも類焼していくからやっかいなのです。



20160515
(250字のエッセンスは、コチラ

 私たちは、何を喜びますか? 何を喜んでいますか? どこに喜びを置いているでしょうか? 私たちは状況が代われば、いつの日か喜びがやってくると思い込むことがあります。独身の時は結婚さえすれば幸せになると思っています。しかし結婚が2人を幸せにするのではありません。(結婚に関して言えば、真実に愛し合い許し合う心が2人を幸せにするのです)

 環境や状況に一喜一憂するものですが、それでも「ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい」(ルカ10:20)とあるように、天におられる父なる神があなたの名前を今日も呼んでいるということを喜ぶのです。「あなたはわたしの子だ、わたしはあなたを喜ぶ、あなたを救った、見捨てない」、そういう主の救いの言葉を聞き続け、救いの確信を持ち続けていく、それが救いのかぶとをかぶるということです。



 キリストの教会が主の言葉である聖書以上に、特定の人の言葉が大きくなると、それは教会ではなくなっていきます。人の言葉が大きくなると、内輪もめは分裂となります。キリストの声よりも自分の声の方が大きくなると、主の救いから離れ、信仰は崩れていきます。

 あの人がこう言っている、この人はこう話していたなど、もちろんそれぞれの意見はあります。しかしでは主イエスはどう言われるだろうか、聖書は何と言っているだろうか、祈りつつ共に御霊の剣である主の言葉に立っていく、それがキリストの教会です。



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