FC2ブログ

北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

誰に気に入られようと?

 上半期最後の日曜日を迎えました。礼拝後にUさんの歓迎会をし、その後に「半年を振り返る感謝会」を持ちました。あっという間に過ぎ去った半年ですが、数えてみると様々な感謝があるものだなぁとしみじみと嬉しくなり、共に復活の主を見上げることができました。

 梅雨の本州帰りのためか、土曜日の夜に妻が咳込んだり腹痛を訴えておりましたので、私が司会、奏楽、説教と1人3役をしました。マラソンのために休まれているとばかり思っていたKさんが、体調不良だと聞き驚きました。夜のⅡ礼拝では優しいご主人と一緒に主の癒やしを祈りました。以下は礼拝メッセージの断片集です。

 「使徒の働き」の12章全体で、私たちの心に引っかかる1つのことは、ヨハネの兄弟ヤコブは殉教し、ペテロは不思議な方法で助けられたということです。つまり何故ヤコブは殉教し、ペテロは助けられたのかということ。

 聖書を通して幾つかその理由を探ることはできますが、1つだけを挙げるならば、それは各自に背負うべき十字架があるということです。ヤコブにはヤコブの十字架、ペテロにはペテロの、ヨハネにはヨハネの十字架、それぞれが担うべき使命があるということです。

 そして十字架をしっかりと背負うならば、そこから生み出されるものがあります。ヤコブの殉教という苦しみから、ますます熱心に祈り続ける教会の信仰が養われていったという、大切な実をみることができるのです。



20160626
(250字のエッセンスは、コチラ

 普段は神を信じていない人でも、苦しい時の神頼みをします。しかしキリスト者は時々、苦しくなると何故か神を疑い、時に神から離れていくことがあります。ある牧師が言いました、「聖書は苦しみのない虫のいい人生など約束していない」と。私ではありませんよ、ある牧師ですよ(笑) 確かにそうです。聖書にはあらゆる苦しみ、困難、痛み、それは登録済みです。主に熱心に祈り続ける時、苦しみに負けないで、潰れないで、苦しみもまた益に変えられていきます。初代教会のように苦しみをさえバネにして、一回りも二回りも大きく成長させていただける、それが聖書の真実です。



 「ユダヤ人たちの気に入ったのを見て」(新改訳)、「ユダヤ人たちの意にかなったのを見て」(口語訳)、「ユダヤ人に喜ばれるのを見て」(新共同訳)と記されています。誰に気に入られようとしているのか? 誰の意にかなおうとしているのか? 誰に喜ばれようとしているのか? 私たち自身もよく自分自身に問うべきことでしょう。

 「人前」で恥ずかしくないように、「人聞き」に悪いことをしないように、「人様」に笑われないようにと、私たちの耳にタコができるほど聞かされてきたことです。しかし本当に大切なことは、「神の前」で恥ずかしくないか? 「神様がそのことを聞いて悲しまれないか?」、「神様に申し訳ないことをしていないか?」ということです。神の御心を切に求めているだろうかという問いかけです。



 ペテロは牢に閉じ込められていましたが、神への祈りは閉じ込められていないのです。



にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 北見情報へ
にほんブログ村

礼拝メッセージの断片集 |
| ホーム |