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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

今はじめて

 この前の日曜日、とても良い天気の中での礼拝でした。初めて訪れた方もおられ感謝です。午後からの三浦綾子読書会の時には、雨が本降りとなり驚きました。夜のⅡ礼拝には、Oさん一家が訪れ主の恵みを思いつつ、Oさん一家の祝福を心から祈りました。以下は礼拝メッセージの断片集です。

 待てなくて不安になるのは何故でしょうか。それは、主が共におられることを小さくしてまうからでしょう。主が共におられるという信仰の事実を大きくしていく時、私たちも平安に包まれていきます。

 信仰の父と言われたアブラハムは、「行き先を知らないで」主が「行け」と言われる声に従って出かけました。私たちにとって、行き先を知らないで引っ越しをするということはあり得ない話しです。何故アブラハムは行き先を知らないで出立することができたのでしょうか。アブラハムは行き先は知らなかったけれど、自分と共にいてくださる方を知っていたから、その方を信頼して信じていたからです。主が共におられるという信仰が大きくなる時、私たちの内側に平安が与えられるのです。



20160710
(250字のエッセンスは、コチラ

 平安に包まれているということは、温泉にでも浸かって「あーいい湯だなぁ」とのんびりしている状態にとどまりません。次の行動につながっていく、そういう平安を主は与えてくださるのです。



 よくよく聖書を読むと、教会が熱心に祈った結果、ペテロが救い出されたのではありません。神の教会が熱心に祈っているその最中(さなか)に、すでに主なる神は働いてくださっていたのです。教会はまだそれを知りませんし、祈り続けていました。つまり私たちが神に向かって祈っている時、神はすでに働いてくださっているということです。



 今は分からないことがあったとしても、「今はじめて、本当のことが分かった」、そう言わせてくださる主が、私たちの神であることを信じて歩んでいこうではありませんか。



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