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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

真実の限りを

 台風関連の投稿が続いたので、火曜日に投稿するはずの礼拝メッセージの断片集を本日、掲載します。

アブラハムが妻のサラを妹だと偽りました。偽りや嘘で事は丸く収まりません。むしろ偽りから、悲劇が始まっていきます。少しの偽り、嘘が、大言壮語が、大きな人生の歪みを生じさせていきます。混乱を招かないようにちょっとぐらい誤魔化してもと思うキリスト者も多いものです。しかし聖書は偽りを肯定していません。聖書は偽りを捨てよと教えています。

 ただ例外はあります。私の知る限り3つほど聖書の中に偽りを肯定しているところがあります。しかもそれは危機的な状況の中で命を守るため、しかも自分の身を守るためではなく、相手の身を守るための嘘でした。しかしそれは例外です。例外をスタンダードにしてはいけません。例外というのは人生に何度もありません。1月に3度もあれば、それは例外ではありません。



 人間はどうしても自分で自分の罪を繕おうとする、誤魔化そうとします。都合の悪いことは話さず、人のせいにしたり、自己弁護をします。それは偽りであり、不真実な姿勢です。リオ・オリンピックの金メダリストが偽りを言ったことで、その後どうなったか、私たちはニュースで聞いたばかりです。



20160821
(250字のエッセンスは、コチラです)

 このアブラハムの出来事から、私たちはアブラハムは愚かだなあということを確認したいのではありません。むしろ私たちは、このアブラハムの出来事を通して、神は真実だなあということを確認したいのです。「アブラハム、お前は私の言葉を信じないでエジプトに行った」、「しかもサラを妹だと言った、そんな偽りを言う、不真実なお前を知らない」、「かつてお前に約束したことも、お前が不真実だからそれは知らない、自業自得だ」と、主なる神はそう言われなかったということです。

 人間の世界なら相手に過失があれば契約不履行です。しかし神の言葉、神の契約は、たとえどんなに私たちが不始末をしても、私たちが主のもとに立ち返り続けるなら、その不始末によって変わるものではありません。神は常に真実であり、私たちの不真実で神の真実が無になることはありません。神が私たちに示す真実、そしてその真実の言葉とは、私たちの出方次第でコロコロと変わるものではないということです。そんな真実な神を信じている時、私たちも偽らないで真実に、誠実に生きる力が与えられていくのです。



 アブラハムに真実の限りを尽くして下さった同じ神を私たちは信じています。「わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している。それゆえ、わたしは絶えずあなたに真実をつくしてきた」(エレミヤ31:3)これからも神は私たちに真実を尽くして下さいます。だからこそ 偽りを捨て、真実な歩みを聖霊によってさせて頂きましょう。



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