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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

信頼するということ

 9月最初の日曜日でした。共に礼拝を捧げた後は、お弁当愛餐会で千葉から送られてきた甘い梨をいただきながら、土曜日に教会でも行われる結婚式の打ち合わせをしました。その後、遠軽町まで出かけて家庭学校を見学し、救世軍遠軽小隊で第2回クリオネ祈祷会を持ちました。以下は、礼拝メッセージの断片集です。


 創世記14章の1節から12節までの長いこと、長いこと。沢山のカタカナ、聞き慣れない地名、人名で、読みにくいですし、老眼もはいってきましたから「゛」なのか「゜」なのか分からないですよね。こういう場合、例えば動詞に注目してみましょう。

 「戦った、進んだ(進撃した)、そむいた、打ち破った、進んだ、引き返して、打ち破った、戦う備えをした、逃げた、穴に落ち込んだ、山の方に逃げた、奪って行った、財産を奪い去った」と記されています。よく理解できる日本語の動詞そのものも、とてもせわしく、ごちゃごちゃしています。この1〜12節は、争いによる混乱があるということ、そういうものがアブラハムの甥ロトを取り巻いていたということです。



 アブラハムとロトが分かれた後、ロトはまず、ソドムの近くに住んでいました(13:12)。しかし14:12を見ると「ソドムに住んでいた」とあるように、いつの間にかロトはソドムの町の中に住んでいます。ソドムの町は、よこしまな人々の集まりで、主に対して非常な罪人だと記されています。ロトは当初「自分は大丈夫。町の中に住むわけじゃないから」と少しだけ距離をとっていましたが、いつの間にかどっぷりと罪の中に浸かっていたのです。

 ロトがアブラハムと分かれた後、祭壇を築いた、礼拝を捧げたという記録がありません。主なる神を見上げない時、どんどんどんどん、争いの中に、混乱の中に巻き込まれていくのです。



20160904
(250字のエッセンは、コチラ

 アブラハムはどうしてロトを信頼し、愛し続けることができたのでしょうか? それは12章のでアブラハムが失敗したこと、すなわちエジプトで偽りを言い、事態が悪くなっていく中で、それでも主なる神は変わらぬ真実を尽くしてくれたことがアブラハムの土台にあるからです。

 ロトが素晴らしくて、ロトが信頼に足る人物だから、だからアブラハムはロトを信頼したのではありません。神がこんな自分にどこまでも真実を尽くしてくれた、その主を樫の木のそばで礼拝しているからこそ、アブラハムもロトに対して真実を尽くさずにはおれない、信頼し愛する力が与えられていくのです。信頼するとは、諦めないで愛し続けることです。主が私たちにそうしてくださったことを覚える時、信頼し愛する力が与えられるのです。



 信頼するとは、口で「あなたを信頼しています」ということではありません。アブラハムの訓練された家の子318人のように、協力するという行動に現れてきます。信頼するということは、協力するということです。



 今日は自分の家のそばに大きな木を植えましょうと勧めているのではありません。かの樫の木とは、聖書全体を通して、主イエスの十字架を象徴しています。樫の木のそばに住みそこで祭壇を築いたアブラハム。すなわち私たちも生活の中で、十字架の主を見上げていくのです。その時、私たちの周りにいる方々と平和に生きることができるのです。愛し続け、協力するという信頼関係に生きることができるのです。そういう道を十字架で開いてくださった主イエスを仰ぎながら、ご一緒の聖餐の恵みに与りましょう。



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