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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

根ほり葉ほり

 先週の月曜日、皮膚科の待合室で本を読みながらも、大勢の患者さんたちのウォッチングをしておりました。同じ北見市に住んでいても、会ったことの無い方々がほとんどなんですね(あたり前か!)。だからこそ主が出会わせてくださった方々とのひと時を大切にしていきたいなあと思いました。

 そんなことを思いながら待合室の皆さんの様子を眺めていたのですが、いつの間にか持ってきた本に夢中になっておりました。その本は、森本哲郎『日本語 根ほり葉ほり』(新潮文庫)です。

根ほり葉ほり

 以前に読んだことのある本なので、赤青鉛筆で線を引っぱっているところだけを読んでいたら、以下の部分に「あー、そうだなぁ」とうなずきました。

 「ごめん」が通用するところに、日本社会の、よく言えば寛容さがあり、悪く言えば、「いい加減さ」があるのではあるまいか。

 なぜ、日本で「ごめん」が簡単に通用するのだろう。それは、「ごめん」という謝罪の言葉が、事の真相をはっきり突きとめたうえで自分の非を認め、その非に対して詫びるというより、事態が深刻化するのを恐れて、とりあえず相手の気持ちをやわらげておこうという目的で使われ、相手もそれを充分承知しているからである。つまり、日本人の「ごめん」は、罪の意識をほとんど含んでいないのだ。

 「ごめん」にかぎらない。日本人が乱発する詫びの言葉、「すみません」にしても、「申し訳ない」にしても、その意味を考えてみれば、最大級の謝罪の表現である。にもかかわらず、日本人はこれらの言葉を慣用語として多用し、そう言いながら、まるで自分の非を認めていない。したがって、これらの言葉は、謝罪語というより、挨拶語とみなすべきであろう。  p.35



 謝罪語ではなく、挨拶語としての「ごめん」。いろいろな理由もそこにありますが、「日本人にとって何よりも問題なのは、神さまではなくて『世間』さまの方である」と森本氏は述べております。

 待合室で皆さんという「世間」さまの様子を眺めながら、私自身の謝罪の言葉、悔い改めの言葉は神さまの前にどうなのかと、唇のプツプツ以上に自分自身の心の中を見つめておりました。

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