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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

見つめ続ける

 ストーブを点けないと寒いのですが、しばらく点けていると暑くなる、そんな日曜日でした。午前の礼拝、午後からの愛餐会、読書会(虹の会)、夜のⅡ礼拝というプログラムでした。その中で、妻に対するサプライズもあり感謝でした♫ 以下は礼拝メッセージの断片集です。

 アブラハムは、サラの気持ちを汲めなかったのです。「サラがそう言うなら」と上辺の言葉だけを聞き、妻の心の内側、葛藤、そう言わずにはおれない氷山の下側にある部分を見つめられない夫の姿があります(ちょっとドキッ・・・)。



 「言葉にならない人の気持ちを見つめること」「自分を絶対被害者にしないこと」「人を見下げない」、そういうことを第一義的に教えるために創世記16章の前半が記されたわけではありません。それらがどれほど大切であるかは、アブラハムやサラも、そして私たちもいやというほど知っているはずです。

 分かっているけれども、どうしても上手く行かない、行為としての罪というよりも、内に潜む罪性・罪の性質がそれを邪魔するのです。ロマ書7章のような、罪性のある人間の現実を1節から6節は記しています。そんな罪の性質をもった私たちを主なる神はそのままにしておくことができない、そういう神の介入を体験することができるというメッセージを続く7節以降に記されているのです。



20161016
(250字のエッセンスは、コチラ

 過去の罪を悔い改めたならば、未来が希望をもって開けてくるということではありません。愛と希望をもって私たちの未来を見つめている主がおられるから、私たちは過去の罪を悔い改めることのできる今が与えられていくのです。この順番は大切です。



 的はずれな見方しかできない私たちを、それでも主なる神は愛と希望をもって見つめ続けてくださっているのです。私たちの全てをご存知の上で、それでも見離さず、見捨てず、見つめ続けてくだる主なる神をこそ、私たちは見つめ続けていくのです。

 神を知るとは、私のことを知っていてくださる神を知るということです。神を愛するとは、私たちを愛してくださっている主なる神を愛するということです。そして同じように主なる神を見つめるということは、私たちの全てを愛と希望をもって見つめておられる主を見つめるということなのです。



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