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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

よっこらせ

 様々な用事などで休まれているご家族もおられましたが、元気いっぱいの賛美の中で礼拝を捧げた日曜日でした。先週、私は横浜の教会で礼拝奉仕だったので、その前の週を風邪で休まれたお方とは久し振りの再会という感じでした。私は来週、紋別での奉仕なので、20日の日曜日に休まれた皆さんとは、4日にお久し振りですねとご挨拶するのでしょう。

 礼拝後は愛餐会、分かち合いと祈りの時、クリスマスの飾り付け、個人的な聖書の学びと続きました、以下は、礼拝メッセージの断片集です。

 私、創世記18章を読むのが好きです。なぜなら、99歳のアブラハムの身のこなしの敏速なことが記されています。「彼らを迎えるために走っていき」、「急いで戻って」、「牛のところに走っていき」などなど。すごいじゃありませんか!99歳の方が走っている姿って見たことがありますか(笑)

 「よっこらせ」、「どっこいしょ」と言いながらではありません。嫌々でも、渋々でもありません。アブラハムは誠実に、また習慣化した義務ではなく、もてなすこと、奉仕することを心から喜んでいるのです。喜んでもてなし、喜んで仕えている姿があるのです。



 アブラハムは旅人に、「元気を取り戻してください。それからお出かけください」と言っています。不意に訪れた方々に対して、「早く帰らないだろうかぁ」と思っているのではありません。「元気になるまで居てください」という気持ちです。時に私たちは自分の元気を取り戻すことにやっきになるものですが、アブラハムは人が元気になることを喜んでいるのです。



20161120

 今朝、「喜んで仕えるしもべになりましょう!」ということを主題にしているのではありません。アブラハムが17章で、神を疑い笑うアブラハムを見捨てることなく、励まし、ねんごろに親しく語りかける主なる神と深く交わりがあったからこそ、このように喜々としてしもべとなって仕える心が与えられているという事実を、私たちの事実にしてくださる神を一緒に崇めたいのです。

 もちろん仕えるということは、いつも喜んでできることではありません。主イエスも喜びながら十字架を背負われたわけではありません。それでも、今ご一緒にヨハネの福音書で、主イエスは何度も何度も「父なる神とわたしは一つだ」と語られ、深く交わられている様子が記されています。そういう主との深い交わりがあったからこそ、しもべとなって弟子たちの足を洗い、十字架を投げ出さないで背負っていく力が与えられたのです。父なる神との深い交わりがあること、これが私たちの信仰生活にとっても大きな鍵となるのです。



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