FC2ブログ

北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

沈黙の中で

 日曜日の礼拝で講壇に立った冒頭、「今日は12月11日です。明日は、12月12日です。明後日は、12月・・・『13日』(皆さんの声)、その通りです。12月13日と言えば、昨年、この日にMさんが洗礼を受けられました」とお伝えして、1年前の感動と喜びを再確認しました。

短歌1

 今週日曜日の朝も、昨年のあの日の朝と同じく、「樹氷(きばな)輝く」まぶしい日ででした。そういう日は、一段と冷え込むもので、いつもよりも10分早く家を出たMさんは、10分遅く教会に着いたようです。ツルツルのツルツルで、ある区間は20kmの徐行運転だったとのこと。

 この日の礼拝は、様々な用事で出かけている方が多かったのですが、アドヴェントの恵みを思うひと時となりました。午後からはSL会(Servant of the Lord:主のしもべ会)、夜はⅡ礼拝がありました。以下は、礼拝メッセージの断片集です。

 何故、ザカリヤは口が聞けなくなったのでしょうか? もちろん、御使いを通して語られる主の言葉を信じることができなかったからです。しかしこの沈黙を、主なる神は罰として与えたわけでも、無意味な懲らしめでもないでしょう。ザカリヤは、神の言葉に耳を傾けるために沈黙の時を過ごしたのです。



20161211
(250字のエッセンスは、コチラ

 人々はエリサベツに子どもが生まれたことを共々に喜びました。子どもが生まれた時に喜ぶ姿は嬉しいものです。58節にあるように、近所の方々や親戚の皆さんと共に喜んでいる様子を容易に想像することができます。

 しかし64節以降にしるされているザカリヤの賛美の源となったその喜びは、58節に記されている人々の喜びとは意味合いが違います。人々の喜びは、子どもが生まれた時に共々に喜びました。しかしこの時、ザカリヤの口は閉ざされたままでした。8日目です。8日目、主の御使いの言われた通りに「その名はヨハネ」と記したその時に、ザカリヤの内から賛美がほとばしり出るような喜びがあふれ出たのです。

 嬉しいことがあったから喜んだという、通常の喜びではありませんでした。ヨハネと名づけた時、つまり神の御言葉に立った時、不信仰から信仰の世界へと一歩進んだその時、ザカリヤに命の喜びが与えられていきました。

 「ヨハネ」とは、「主は慈しみ深い」という意味だそうです。このアドヴェント、クリスマス、心を静めて沈黙の中で慈しみ深い主を思い、主に信頼して進む行く時に、私たちにも命の喜びが与えられていくのです。



 今朝は、ご一緒に心を静める時、沈黙の時、神様を見上げる時、御言葉を握る時、一切の他の音を聞かないで、自分の心をひたすら神様に向けていく時を持ちます。ピアノのBGMもありません。いつものように声に出して祈りません。ザカリヤのように、沈黙をして、沈黙の中で、神を思うひと時を持って参りましょう。



にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 北見情報へ
にほんブログ村

日記 |
| ホーム |