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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

本音とは

 1月15日の日曜日、大荒れという天気予報を受けて礼拝後の愛餐会(昼食)を中止しました。「皆さん無事に来られるかなあ」と心配していましたが、オホーツク海側は予報通りの大雪ではありませんでした。本州の皆さんの方が大変だったようですね。(北見では月曜日に雪かきとガレージの雪降ろしをしました)

 以下は礼拝メッセージの断片集です。

 キリスト教会は、基本的に十字架をシンボルとしてきました。どこの教会にも十字架があります。ある大学のチャペルでは十字架ではなく、茨の冠を象徴にしているようです。またある国では、パンとぶどう酒のマークが象徴となっているでしょうです。(日本人の観光客がパブと間違えて入ることもあると言うのですが、本当かなあ・・・?)茨の冠にしても、パンとぶどう酒にしても、意味しているのはキリストの十字架であるということです。つまり教会の中心は、十字架のキリストだということです。

 人は人を救えません。だからこそ主イエスが私たちのために救い主となって来られました。その十字架の主イエスをご一緒に見上げていく、それがキリストの教会という兄姉の集まりです。教会が十字架の主イエス以外のことが中心になったら、そこはもう教会ではありません。私たちも徹頭徹尾、共に十字架のキリストを見上げていく、そういう礼拝をこれからも捧げていこうではありませんか。

 

20170115
(250字のエッセンスは、コチラ

 話し合うことも大切です。私たちの教会も話し合うこと、分かち合うことを大切にしています。ただ、祈ることを忘れてどんなに話し合ったとしても、心を合わせることはできません。「もっと本音で話し合いましょう」とある方は言います。もちろん偽善者のようにいつも「正解」を言う必要はありません。思ったこと、感じたことを話せる雰囲気はとても大切です。ただし人間の本音とは、罪なのです。どんなに自分が正しいと思っていても、罪の故に曲がっていることを忘れてしまうこと、そこに大きな罪の連鎖があります。

 教会が大切にしてきたことは、共に主なる神の前で祈るということです。教会は心を合わせてひたすら祈ってきました。また同時に、共に祈ることで心を合わせることができたのです。両者は1つです。共に祈りつつ、私たちはキリストの思いを知り、一つになることができるのです。



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