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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

ワンダフルに

 「賛美のただ中に、主なる神が座しておられる」、そういうワーシップを皆さんと捧げた22日の礼拝。聖霊によって祈りにも導かれる礼拝であったことも、牧師として大きなよろこびです。

 そして午後から昼食を共にしながら、様々なことを分かち合うひと時の豊かさ。「午前中の礼拝メッセージが無くても、この分かち合いだけで充分な恵みがある」とはどなたも言われませんが(笑)、午前の礼拝があるからこそ午後の豊かさにつながっていることは言うまでもありません。

 夕方からは、今年最初のEnglish Gospel Worship!ブッキングがあったので、ネイティブの皆さんは来られませんでした。それでも終了間際に「The Lord's Prayer」を祈ろうとしたまさにその時、ネイティブのJさんが訪れました。4時まで仕事だったとのこと。掛け持ちでよく働かれています。皆さんで、Jさんのために心を込めて祈るひと時を持ちました。

 以下は礼拝メッセージの断片集です。日曜日のレポートが長くなったので、今日は短めです。

20170122
(250字のエッセンスは、コチラ

 現代の教会は「神は愛です」ということを伝えています。私たちも声を大にして、神が愛であることを語り続け、示し続けます。しかし「神は愛である」というメッセージが、「神を愛する」という信仰の応答につながっているかどうかを問う必要があります。もしかすると「神は愛である」というメッセージが、「神に愛される」ことのみを求めていく結果になってはいないか、ということです。

 聖書は「主を畏れる」ことを、大切にしています(伝道の書12:13)。主を畏れるとは、神を神とするということです。この主を畏れるということが、信仰の姿勢の土台になっていないために、「神は愛である」ことが自分の思うがままに「神に愛される」ことをのみ求め、一番大切な「神を愛する」という応答が弱くなってしまっているのかもしれません。



 教会に多くの不思議としるしが現されました。不思議とは、単なる奇蹟、驚くべきことではなくて、聖霊によって不思議な業がなされる時、そこに「主は素晴らしい」という主を崇める賛美が伴ってきます。「wonder」から「wonderful!」ということです。



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