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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

番頭さん

 2月12日の日曜日。久々の日曜朝の雪かきでした。また山陰地方などの湿った重い雪のニュースを見ていたので、それほど多くの量ではなかく軽い雪だったこと、少々申し訳ない気持ちもするのが不思議です。

 先週の礼拝の中で、皆さんと心を合わせて祈っていたことの2つに対して、1週間後に神様が働いてくださったと主の御名を称えることができ感謝しました。礼拝後はお弁当愛餐会(昼食)、虹の会(三浦綾子読書会)と続きました。以下は礼拝メッセージの断片集です。

 創世記で主なる神が、その御手でご自身に似せてアダムを造られ、息を吹きかけられ人は生きる者となりました。それはとても良い、はなはだ素晴らしい、天地創造6日目の出来事でした。そして神と人とは、安息の7日目を迎えました。それはさながら、「これは私の愛する子、わたしの心に適う者」という父なる神の祝福の思いが満ちているような、安息の日です。ところが、そこに蛇の姿をした悪魔が現れて人間を誘惑し、そして罪を犯してしまいます。

 先週マタイ福音書3章の後半、主イエスが洗礼を受けられ、聖霊が鳩のように注がれて父なる神の愛と喜びの声を聞かれました。そのすぐ後の4章、創世記をなぞるように主イエスもサタンから誘惑を受けられます。



 「苦しい時の神頼み」と言いますが、主イエスを信じた後に「苦しい時の神離れも」も多いと言われます。「どうして神様を信じているのに、こんなに苦しい目にあうの!」と、神から離れてしまうことです。しかし聖書は、主イエスを信じる歩みとは、迫害や困難や痛みがなくなるのではなく、主イエスと同じように荒野と思うようなところを通ることを教えています。聖書のどの信仰者を見てもそれは明らかです。

 信仰が与えられていることの素晴らしさは、苦しみに合わないということではなく、苦しみをもバネにして一回りも二回りも信仰が深められていく、そして立ちあがり乗り越える力が与えられていくことでしょう。「苦しい時の神頼み」にあえてかけて言うならば、「苦しい時『も』神頼み」としてどんな時も主に近づいていく、そういう信仰を私たちは与えられているのです。



20170212
(250字のエッセンスは、コチラ

 「主なる神を試みてはならない」と主イエスは入れました。出エジプト記17章などを見ると、神を試みるということ、つぶやきが一つになっていることに気づかされます。私たちの口からつぶやき出る時、それは自分が神にでもなったかのように神を試みている時なのかもしれません。



 周囲にいる人が自分の思う通り、理想通りにならないと落ち着かない、平安を失ってしまうというのであれば、それは自分中心の我がままが心の真ん中にあるからでしょう。それこそ、自分が神になってしまっているのです。



 仕えるとか、礼拝するという言葉を、serve、serviceという英語で表現します。人間である私たちが神にサービスする、それが仕える、礼拝するということです。しかし人の罪の性質は、悲しいかな自分がサービスを求める心というものをいつの間にか持ちやすいのです。ある方が教会の牧師は「お風呂屋さんの番頭みたい」と言われました。お風呂屋さんに行ってお湯が冷たいと「もうちょっと温かくして」、熱すぎれば「ぬるくして」、そうやって言われるままに湯加減を調整する番頭さんに牧師は似ているというのです。驚きました(笑)

 つまり、せっかく教会の礼拝に来たのに、自分を温かく扱ってくれなかった、「ぬるいよ!」ということ。あるいは世話を焼き過ぎるのでもうちょっと放っておいて、「ちょっと熱いよ!」ということ。まあ、言わんとすることは何となく分かりますね。人間ってそういうところがあります。

 私たちはそれを神様にしていないだろうか、と自問するのです。自分たちの気に入る湯加減の人生にしてもらいたいと、
「神様、もっとこのようによろしくお願いしますよ」とサービスを求める心、それでは自分が神になってしまっているということです。私たちを造られ、命を与え、生かしてくださっている主なる神の愛の御心に従い、与えられている恵みに感謝して私たちが捧げていく、主に仕えていく、そういう本来の姿や心が小さくなっていく、そこに私たち人間の最も深い不幸が始まっていきます。

 サービスを求める社会の中で、私たちは生きています。時には「過剰サービス」をすら要求し、店員に土下座さえも要求するニュースが流れます。サービスすることよりもサービスされることを求めるその先にあるのは、クレーマー社会であることを私たちはよく知っています。恐ろしいまでに、自分が神になってしまうのです。だから主イエスは断固として「引き下がれ、サタン!」と強い語調で話されるのです。



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