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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

よくなりたい

 日曜日の礼拝メッセージの断片集です。妻が北見で、私が紋別で奉仕をしました。主題とポイントは同じなのですが、集われている皆さんが違うので、多少なりとも内容は変わってきます。

 祭りのためにエルサレムの神殿に上って来た人々は、羊の門のそばにあるベテスダの池には近寄らなかったでしょう。病人ややせ衰えた者が大勢いるベテスダの池は、祭りに来た人々にとって見るべきものがない所でしょう。
 
 しかし、主イエスはその祭りに行かれる途中、笑顔溢れる人々がいる道から反れてベテスダの池へ向かうのです。そして主イエスの眼差しは、賑やかな華々しい祭りに向けられたのではなく、ベテスダの池のほとりの現実、その悲惨さに向けられました。主イエスは見て見ぬふりができないお方です。見過ごされることなく、見なかったことにもなされず、目をそらされないのです。その眼差しは、私たちにも向けられています。



20170226
(250字のエッセンスは、コチラです)

 「よくなりたいのか」尋ねられたのであれば、普通は「よくなりたい」あるいは「なりたくない」という、「Yes」か「No」のどちらかでしょう。しかしこの男性は、周りが悪いんですと責任転嫁を言い始めます。自分の不幸は、周りのせいだ、環境のせいだ、他の人々の親切が足りないからだ、誰かが悪い、このことが悪い・・・そういう恨みつらみを語り始めるのです。

 「本当にあなたはよくなりたいのか」という主イエスの問いかけをよく聞く必要があります。周囲や他の誰かがあーでこーで、ではありません。「あなたは、よくなりたいのか」、そう主イエスは問いかけるのです。



 「よくなりたい」と「よく見せたい」、この違いは大きいのです。「よくなりたい」と真実に願うとき、自分の弱さや欠点に向き合う必要がありますし、それはしんどい作業です。しかし「よく見せたい」ということであれば、自分の弱さや欠点を見えないようにして隠し、上手くできないことは他の誰かのせいにしていくので、結局のところ本質は変わらないのです。

 「よくなりたいのか」と問いかけてくださる主イエスは、私たちを本当の意味で「よくする」ことのできるお方なのです。



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