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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

神を思う

 3月19日の日曜日。この日はフィリピンに帰国されていたTさん&Gさんご夫妻が、無事に戻ってこられました♫ 感染症など様々なことを心配していましたが、元気そうで何よりです。座るべきところにどしっと座るべき方々が座っておられるって、嬉しいものです。

 私は初めてお会いしますが、先月の巻き寿司愛餐会に来られたYさん一家も集われ、愛餐会(昼食)もご一緒しました。この日の昼食はカフェ風メニューで、パスタに焼きたてパン、特製スープにヨーグルトが隠し味のポテトサラダなどなど、調理師免許のある2人のMさんが腕を振るってくれました♫ 以下は礼拝メッセージの断片集です。 

20170319
(250字のエッセンスは、コチラ

 私たちは今朝、本当に私たちは、神のことを思っているだろうかと、自らに問いかける必要があります。神のことを考えているようで、実は自分のことを考えていないでしょうか。いやそれでも、私たちは神のことを思っている、信じている、祈っている、そう思うのです。しかし私たちの悩みって、自分の悩みなのです。自分のことで悲しんでいることが多いものです。主なる神が何にその心を痛め、何に悲しんでおられるか、そういうことはあまり考えないのではないでしょうか。

 神のことを思うということ、それはそこに十字架の主イエスを見るということでしょう。神のことを思うということ、それはそこに復活の主イエスがおられることを信仰によってしっかりと見つめるということでしょう。

 「とんでもないことです、Never Lord」、そう思わずにはおれない悩みや悲しみの状況の中で、十字架の主イエスを見つめたいのです。そこで十字架の主イエスは何と言われているか、それを信仰の耳で聞きたいのです。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか分からずにいるのです」、人々の罪が一番ドロドロとした形で現れているその最中で祈られた主イエスの声を聞くのです。あの十字架で、全ての罪や悲しみ痛みを背負われた主イエスを、私たちの生活の現場で見つめるのです。それが神を思うということです。

 「どう考えてもおかしいじゃないですか、間違っていますよ、腹が立ちますよ、理不尽だ、嫌になってきますよ」、そういう人と人との関係の中に、復活の主イエスを見つめるのです。釘打たれた両手を広げて、平安あれと言ってくださる主イエスを見つめるのです。十字架に掛かって隔ての壁、敵意という壁を崩してくださった主イエスが、今も私たちのためにとりなして祈りつづけている、そういう復活の主イエスを見つめるのです。

 神を思うということ、それは生ける神の子キリストがここにおられると信じることです。こういう状況の中でも主なる神が働いておられる、神の御心が必ず成る、そうやって自分の善意、自分の誠実を越えて、真実な神が生きて働かれることを信じていくのです。何があっても、どこまでも神を信頼し、聖霊によって神を喜び、神をたたえていく、それが神を思うということです。天が開かれているとは、そういう状態のことです。



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