FC2ブログ

北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

忘れなさい

 3月最後の日曜日は、すがすがしい晴れやかな天候でした。北見の礼拝は妻と教会の皆さんにお任せして、私は紋別へ出かけていきました。

 紋別では、聖餐式、役員就任式、お弁当愛餐会(昼食)を持ちながらの分かち合い&交わり、そして役員会と、とても充実したひと時でした。特に昼食をご一緒しながらの分かち合いは、主イエスが真ん中におられる豊かなひと時でした。

 (捕まらない程度に)急いで北見に戻ってくると、EGW(English Gospel Worship)の2部、MさんとKさんの送迎会の真っ最中でした。「私の料理も残しておいて〜」と言っていたので、ちゃんとありました。以下は、礼拝メッセージの断片集です。

 命が曇っている状態を、病気と呼んでもいいでしょう。たとえ何らかの病名があったとしても、毎朝を希望をもって迎え、自分のできることをし、感謝しつつ歩んでいるならば、命や魂は病気ではありません。病んでいるとは、自分のことしか考えられないということ、自分中心が渦巻いていることです。自分のことで精一杯、自分のことしか考えられないということは、こんなに苦しいことはありません。



20170326
(250字のエッセンスは、コチラ

 今日はどうしてリスの画像なのかなあと思われた皆さん、お待たせしました。リスは冬を越すために、クルミやどんぐりを頬張って運び、枝の間に隠したり、穴を掘って埋めるそうです。そして冬の食糧難に掘り出して食べます。(雪のない本州のリスでしょうね)

 しかし面白いことに、せっかく一所懸命に落ち葉をかき分けて穴を掘って埋めて、土の中に隠したクルミなどの半分以上を、どこに埋めたのかリスは忘れてしまうそうです。リスの物忘れって、面白いですよね。(私がヘソクリをどこに隠したかを忘れてしまっているのに似ているかも・笑) 

 さらに面白いことに、リスがクルミをどこに隠したか忘れてしまうおかげで、重い大きなクルミの実が運ばれて拡散し、やがて発芽し、そして木となり実となるというのです。リスの物忘れが、林を形成する上で、重要な役割の一部を担うことになるのです。

 今日の御言葉のマタイ16:24で「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、・・・」とあります。この「自分を捨て」をある英語の聖書では、「forget about yourself」と訳しています。自分のことを忘れなさいというのです。自分のことで嫌だなあと思うこと、傷ついたこと、辛かったこと、恨みたくなることを、忘れてしまいなさいということです。せっかく一生懸命にやってきたのに、それでも認められないで報いられないままでいること、そういうこともあのリスのように、穴を掘って土の中に埋めてしまい、忘れてしまいなさいということです。

 忘れてしまうとは、いつまでもそこにしがみつかないで、主イエスにお委ねするということです。そして忘れてはいけないこと、神の愛、恵み、祝福を数えながら感謝しつつ、今日という日に与えられている自分の十字架である使命をしっかりと担っていくのです。そうすれば、いつかあの忘れていたことが、「あー神様、こういう意味だったんですね」、そうやって私たちの人生に芽が出て、実となって結ばれる時があります。時にかなって美しくしてくださる、そういう主なる神を私たちは信じているのです。



にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 北見情報へ
にほんブログ村

礼拝メッセージの断片集 |
| ホーム |