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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

復活のヒーロー

 4月16日(日)は、イースター礼拝(復活祭)でした。長い間、雪に閉ざされていた北国で迎えるイースターの喜び。「Happy Easter!」と笑顔と共に握手をしながら挨拶を交わしました。

 礼拝では、復活の出来事のメッセージ、復活の訪れを世界中に告げている海外宣教師ために祈り、また進学・進級の祝福の祈りを捧げました。午後からのイースター愛餐会(昼食)は、いろいろな特別メニューがあり美味しくいただきました♫

 昼食をいただきながら、TさんとGさんの送別の時を持ちました。とっても心が震えるひと時となりました。そしてイースター福笑いのゲーム、タマゴ探しゲームと、大人も子どもも一緒になって楽しみました。夜はDさんがⅡ礼拝に来られました。以下は、礼拝メッセージの断片集です。

 先週は「踏みとどまる」というメッセージを聞きました。今週は「しがみついてはいけません」という主題です。「一体、どっちやねん!」と思われたかもしれません(笑)17節で、確かに主イエスは「わたしにすがりついてはいけません」と言われています。この場面を描いている画家も、きちんと17節を描いています。主イエスの右手、あるいは両手が、「すがりついてはいけません」というジェスチャーをしていますね。

すがりついてはいけません

 どうして主イエスは、「すがりついてはいけません」と言われたのでしょうか? 実は「すがりつき方が違う」ということです。主イエスにすがりついているようで、そうではないものにしがみついているということを、主イエスはしっかりと見抜いておられるのです。



 S先生は時々、Y先生(私の妻)に、長いまつげをバタバタしながら優しく言われたそうです、「Yさん、悲劇のヒロインになってはいけませんよ」と。悲しみの涙に、自己憐憫の涙にいつまでも、しがみついてはいけませんよ、ということですね。主イエスは生きておられる神じゃありませんか、ということです。S先生の言葉に合わせるなら、悲劇のヒロインにならないで、復活のヒーローを見上げましょう、ということです。



20170416
(250字のエッセンスは、コチラ

 マリヤが求めているもの、それは主イエスの遺体だったのです。生きておられる、復活された主イエスを求めていたのではなく、主の亡き骸を求めているのです。主イエスは死んでしまって遺体になったという自分の思い、思い込みにしがみついているのです。

 ここでマリヤの思い込みが、主イエスの亡き骸であるということは、とても象徴的です。死体とか亡き骸と、私たちは通常、コミュニケーションを取ることはできません。もちろん亡き骸やお骨を前にして、様々な思いに耽ることはあるでしょう。しかし亡き骸と相互のコミュニケーションは取れません。
 
(検死官は「死体は語る」と言いますが、それはテレビドラマの見過ぎです。死因を特定するものが、亡き骸の中に示されているということであって、遺体と親しく交わることは出来ません)
 
 マリヤは、主イエスは死んでいる、死んだままだという自分の思い込みにしがみついていました。自分の思い込みにしがみつく時、私たちは血の通った親しい生きた交わりが出来ません。第一印象であの人は嫌な人だと思い込んだら、その人の全ての仕草までも嫌になってきます。その第一印象が当たっている場合は、なおさらそれ以上のことを知ろうとはせず、心を通わせることはしません。自分の思い込みにしがみつく時、親しいコミュニケーションが無くなるのです。つまり、自分の頭の中の世界に閉じこもっていくことになります。

 今、自分の小さなこだわり、不安な思いにしがみついていないでしょうか? 復活の主は、あなたの名前を呼んで語られます。自分の思いにしがみつくことなく、「しっかりしなさい、大丈夫だ、わたしだ。死を打ち破ったわたしがあなたと共にいる!」と言われる、生きておられる主イエスの思いを聞こうではありませんか。

 生きておられる主イエスの愛の思いを聞き、主イエスの希望の言葉、信仰の言葉を聞き続けていく時、私たちは自分の小さなこだわりから解放されていくのです。



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