天気の良い日曜日でした。礼拝後は、第4回一食断食祈祷聖会の時を持ちました。じっくり祈るつもりでしたが、あっという間でした。以下は、礼拝メッセージの断片集です。
何が正しいのか、正しくないのか、それらを私たちはよく吟味する必要があります。しかし同時に、どうすれば愛の配慮ができるかを問うことを忘れてはいけません。正しさを主張するあまり、相手を「つまずかせてはいけない」からです。物理的にも、私たちは大きな岩につまずきません。小さな小石、小さな段差につまずくものです。大きな本質の部分は譲ってはいけません。しかし小さな部分はつまずかせないよう譲る、寛容になるということが大切なのです。

(250字のエッセンスは、
コチラ)
義務、権利、自由について、聖書は何と言っているのかということを確認する必要があります(Ⅰコリントなども)。そこを履き違えてしまうと、クレーマーになってしまいます。自由や権利を自分の主義主張を押しつけるために用いないということです。人々をつまずかせる自由ではなく、むしろ仕える自由、愛する自由、譲っていく自由をこそ権利にしていくということです。
自由を誇示するのではなく、他者が生きるための自由を選択するのです。「今ここで宮の納入金を納めないで、わざわざ人々をつまずかせる必要はありません。無ければ私が与えます、魚の奇跡を起こしてでも、あなたに与えます。それほど、小さなことで人をつまずかせることは、小さなことではないのです」と主イエスは私たちに教えているのです。それがキリストの心なのです。
人をつまずかせないために心を配るならば、この魚の奇跡のように生活の中で不思議な奇跡を体験するでしょう。もちろん大切なことは、不思議な奇跡を体験することではなく、隣り人に寛容を示していくということです。そういう愛のあるところに、結果として主の奇跡は現されていきます。
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