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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

2つの選択肢

 5月7日は、風の強い日曜日でした。せっかく咲いた桜が早く散ってしまわないようにと思っていましたら、翌日は雨でした (T_T)。

 さて礼拝には2人の大学生が出席されて感謝でした。午後からは、6月にあるバイブルトーク&三味線コンサートのために地域の教会が共に集まって祈るひと時を持つことができました。以下は、礼拝メッセージの断片集です。

 主イエスは、「あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には入れません」と言われました。「子どものようになる」とは、どういう意味でしょうか。単純に「ああ、大人たちよ、幼子のような清らかな心が欠けているよ」ということではないでしょう。子どもたちが純真無垢かと言うと、そうでもない我がまま、罪の性質があることを私たちはよく知っています。子どものような素直さということであれば、子どもはどういう点で素直なのでしょうか。

 もし、夫婦あるいは親子で、2泊3日の旅行に出かけたとします。その時、旅行会社の手違いなどで、以下の2つの選択肢を迫られたとしたら、皆さんはどちらを選びますか。料金はもう既に支払っていて、同じ料金です。

 A:5つ星の超豪華な宿、豪華な食事。ただし家族は各人別々の宿に泊まる。
 B:築50年経ったような民宿だけれど、夫婦・親子は一緒の部屋に泊まれる。

AかBか
(画像はイメージです)

 もう答えを聞くまでもなく、夫婦の皆さんは迷うまでもなく「A」を選んでおられますね〜(笑)しかし子どもは「B」を選ぶはずです。なぜなら親と一緒にいることを希望するからです。子どもが小さければ小さいほど、つまり子どもであれば親と一緒にいることを心から願うものです。

 主イエスは「子どもたちを呼び寄せられて、真ん中に立たせた」のです。子どもたちは、主イエスのすぐそばにいます。また「悔い改めて」というのは、欄外の注に「向きを変える」とあります。つまり、向きを変えて、父なる神のもとに行く、主なる神のそばにいるということです。
 
 子どもが一途なまでに親と一緒にいたいと願うように、私たちも自分勝手な方向を向くのではなく、父なる神の方を向き、主なる神のすぐそばにいることを願おうということなのです。



20170507
(250字のエッセンスは、コチラ

 ある壮年の方は「主よ、自分自身の内に誤りがあれば、どうぞそれを正して下さい」「主の御用のために用いて下さい、主の御心を行わせてください」と毎朝そのように祈っています。へりくだって、神の前に祈っておられます。私たちは自分の間違っている所を指摘されると嫌なものです。しかし間違いやすいという自分を真実に見つめ、謙遜に歩まれているなあと思うのです。



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