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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

厳しい言葉

 5月14日(日)の礼拝は、母の日の礼拝でした。お子様のいる方々5名のために祈り、カーネーションをお持ち帰りいただきました。紋別の皆さんには昨年同様、祝福の言葉を綴った葉書をお送りしました。

 月曜日に昭和5年生まれの紋別のHさんから、お礼のお電話をいただきました。また北見では5月の誕生者、3名の方々のために祝福を祈りましたが、その中でIさんも昭和5年生まれの87歳でした。私にとって昭和5年生まれの方は、強いなあといういう印象があります。

 礼拝に集われた大学生が、お弁当を持参され、お昼のお弁当愛餐会(昼食)もご一緒し、皆さんから歓迎を受けていました。豊かな分かち合いで神様は素晴らしいなあとしみじみと思いました。2時から始まる読書会「虹の会」にも、初めての参加者がおられ、嬉しい1日でした(読書会のレポートは、コチラで読めます)。以下は、礼拝メッセージの断片集です。

20170514
(250字のエッセンスは、コチラ

 主イエスは、どこか遠くに隠れておられるのではありません。私たちのすぐそばに、小さき者の姿をもって現れます。そういう人々を受け入れること、 それは主イエスを受け入れることだと言われるのです。

 主イエスは受け入れているけれど、主イエスがよろしく頼むと願う、あのちょっとややこしい人は受け入れられない、「No thank you」ということであれば、 それは主イエスの心と言葉を無視し、主イエスを受け入れていないということになってしまうのです。ギクッ・・・。



 18章6節〜9節、厳しい言葉で、つまずまかせてはいけないと主イエスは語られます。(6)「しかし、わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、大きい石臼を首にかけられて、湖の深みでおぼれ死んだほうがましです」本当に厳しい言葉です。想像できるでしょうか?こんな感じのようです。 

石臼

 私たちの机の上に、戒めのためにこういう置き物を飾っておいても良いかもしれませんね(笑)それにしても厳しい言葉です。私が言った言葉ではありませんよ。主イエスが言われた言葉です。愛のお方がここまで言わなければならない、その心を私たちは受け取る必要があります。



 箴言20:12に「聞く耳と見る目とは、二つとも主が造られたものである」と記されています。主イエスを信じる者は、造り主によって新しい耳と新しい目が与えられていると言えるでしょう。新しい耳で今まで聞くことが出来なかったものを聞き、新しい目で今までは見過ごしていたことを見えるようになったということです。

 今までは、立派な人、自分に優しい人などを大切にしていたかもしれません。しかし自分にとって小さいと思われる方が、実はどんなに大切かということを、私たちは新しい耳と目で知ることができるようになったのです。99匹を残して1匹を探しに行く良き羊飼いの心を、私たちがその1匹だったからこそよく分かり、同じ心が与えられていくのです。



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