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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

にらみつけながら

 恵みの雨の降る日曜日でした(6/25)。礼拝後は、愛餐会(昼食)でお蕎麦と洋風チラシを美味しくいただきました。一緒に登場したフキの漬物、気に入りました♫

 昼食後は分かち合いの時、そして画像を見ながら半年の恵みを振り返り、感謝を数える時を持ちました。いろいろと忘れているものですね。そしてこの半年も、いろいろなことがあり味わい深い半年でした。夜は男性だけで食事に出かけ、レイトショーで映画を観ました。以下は、礼拝メッセージの断片集です。

 私は20代の頃、堀肇先生の「心の散歩道」という書籍の「おわりに」の部分を読んでドキッとしました。

「私は若いころから、キリスト者が神を愛し信ずるのは、神が神であられるゆえに愛し信ずるのであって、『何かのために』利用してはならない、と思ってきました。それは今も変わりません」

「神を愛し、信じるということが自己実現のため、成功のため、自分が輝くためというようなことになりますと、神に対して、それこそ誠実さを失うことになるわけです」

 私はガツーンと頭と心を打たれる思いがしたのを覚えています。

 

20170625
(250字のエッセンスは、コチラ

 パウロは聖霊に満たされて、魔術師エルマをにらみつけながら、「しばらくの間、日の光を見ることができなくなる」と言っています。例えば、パウロがこう祈ったからと言って、私たちも相手をにらみつけながら、このように祈るのでしょうか? 「私に反対する者よ、今から目が見えなくなるだろう。ワッハッハッハー」(笑)聖霊に満たされてにらみつける、このパウロの祈りをどう思いますか? 私が皆さんをにらみつけながら、こういう言葉で祈ったら、どう思いますか?

 ここで私たちは、これは他の誰でも無い、パウロの祈りだということを覚えるのです。この時、聖霊に満たされたパウロの心の中にあったもの、それは使徒9章のダマスコの出来事のはずです。かつて、キリストを信じる者を大迫害していたあのパウロ、あのダマスコの途上で、復活のキリストが現れて、大きな強い光が彼の前を阻み、パウロは打ち倒されました。そして3日の間、その目は見ることができず、暗闇をさ迷うことになったのです。

 聖霊に満たされているのに、にらみつけながら、優しいとは思えない厳しい言葉のように聞こえます。それでも、「エルマよ、あなたの上には全能の神の御手がある。神の偉大さを知り畏れよ。私も以前、主の光に打たれて目が見えなくなった。しかしやがて目からウロコのようなものが落ちて、はっきりと神の真実が分かるようになった。これから一生の間、盲目というわけではない。『しばらくの間』、一時的なこととして、激しく打たれることがある。暗闇と思うところを通る。しかしそれは見えなくなるためではなく、本当の意味で見えるようになるためだ」、そういう思いでパウロはエルマに語っただろうと思うのです。



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