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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

朽ちることなく

 暑い日曜日の礼拝でした(7/9)。それでも、大雨で被災されている方々のことを思うと、「暑い、暑い」と言っておれることも幸いなのですね。

 礼拝中、一瞬「あ、地震か!?」と思った時がありました。何のことはありません、2階で子どもたちがダンス付きの賛美をしていたとのこと(笑)天井が落ちない程度にお願いしますね〜。

 礼拝後は、お弁当愛餐会。読書会のO会長は、いつもこの昼食時から来られます。「この時(食事をしながら、分かち合うひと時)、好きなんですよ〜」とのこと。私も好きなんです。ただ、O会長、何人かに「礼拝から来たらいいのに」と、いつものように言われていました(笑)

 午後からの虹の会(読書会)のレポートは、コチラにUPしています。金曜日のオリーブ会のレポートもUPしています。以下は、礼拝メッセージの断片集です。

20170709
(250字のエッセンスは、コチラ

 パウロは、イスラエルの歴史を語っています。しかしその主語は、イスラエルの民ではなく、神御自身が主語になっています。歴史というのは、神御自身が導いておられるということです。人の側から見るとそれは罪の歴史 様々な痛みがあり、確かに不条理もあります。しかし神の側からの歴史、それは救いの歴史 神に背を向けて歩んでいる人々に救わずにはおれないのです。大切なこと、それは様々な歴史があり、出来事があるその中で、私たちに語られる救いの言葉を聞くということなのです。



 罪の赦しについて、今日は1つのことに注目したいのです。しれは27−38節に、何度も用いられている「朽ちることのない」という言葉です。主イエスが私たちの罪を背負い、十字架に掛かられ、そしてよみがえられました。つまり主イエスは、罪の中で朽ち果ててしまったお方ではないということです。そして同時に、この救い主を信じる私たちも、罪の中に朽ち果ててしまわないということなのです。

 しかし罪を持ったままの人生、罪の赦しを必要ないとする生き方は、朽ち果てていく生き方となっていきます。どんなに外側が立派でも、成功しているように見えても、罪の赦しを受け取らず、主イエスを罪を赦す救い主として信じていないなら、その人の心の中は罪によって朽ちていくことになります。

 キリスト者であったとしても、自分の罪が赦されていることを忘れ、救いの恵みを思い返すことを忘れてしまうと、その心は不満や不足、ねたみや恨みなどにより腐っていくようになるでしょう。初めの愛にいつも帰り、罪が赦されていること、天に自分の名前が記されていることを思う時、感謝が湧き上がってくるのです。



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