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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

心を聞く

 13日の日曜日、帰省されている家族が2家族あったので、ちょっと寂しいかなあと思っていましたが、人数に関わらず礼拝は豊かなものでした。またオホーツク地方に帰省されている、いつも祈りに覚えているMさんが、初めて礼拝に出席されて感謝です。

 午後、お弁当愛餐会(お昼ごはん)をしながら、和やかに主なる神の恵みを分かち合いました。Kさんが「何だか静かだなあと思っていたら、子どもたちがいないんですね。静かで良いのですが、でもやっぱり教会には子どもたちの声が欲しいですね」と話されました。その通りだと大きくうなずきました。

 午後2時からは虹の会(読書会)がありました。(レポートは、コチラで)以下は礼拝メッセージの断片集です。

20170813
(250字のエッセンスは、コチラ

 何度も同じ人物を紹介しますが、渡辺和子シスターが大学の講義の中で1人の若い医師の言葉を感動をもって紹介されました。「自分は病気を診る医者ではなく、病人を診る医者になろうと思う」。3時間待って3分の診察の昨今、病気を抱えたその人の苦しみ・全人格を診るという医師の言葉です。

 講義後に1人の学生がシスターを追いかけてきて、「私の父は反対のことをいつも言っています」と言われたとのこと。
医師であるその学生のお父さんは、「病気を診る医者であって、病人を診る医者ではない」ということを大切にしているようです。

 シスターは戸惑いながら「どう意味でお父さんは仰っておられるの?」と尋ねられました。すると、病人を診ると若い病人だと何とかして直そう、非常に歳を重ねた病人だとまぁそこそこで、お金持ちだとこの薬を使っても大丈夫、そうでない方はある程度のお薬しか使えない、ということをどうしても考えてしまう。だから病人を診ないで病気を診る医者なんだ、年齢、所得、家族のあるなしに関わらず、病気を治す医者でありたい、ということでした。

 シスターは、言葉がどういう文脈で使われ、何を意味しているのか、話す方の心は何かということを知ることが大切だと指摘されています。そのと通りでしょう。「聞く」ということは、そういうことだと思います。

 「病気を診る医者でなく、病人を診る医者」、「病人を診る医者でなく、病気を診る医者」。表現から言えば真逆です。ただその両者の心にある人間に対しての温かさ、人の尊厳を思う心など、通い合っているものがあります。「言葉を聞く」ということ、それは話している人の心を聞くということでしょう。

 聖書の言葉にも、時には論理的に矛盾しているようにも感じるところがあります。しかし大切なことは、その言葉に込められている神の愛の心を聞くということです。


 例話だけの紹介になってしまいました。語りつつ、私自身も深くうなずきながら主の御声を聞いていました。

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