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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

自信が無くてもいい

 8月最後の礼拝。久しぶりにGさんが集われ、以前に座っていた席で心から主なる神を崇めていました。今回の帰国は10月までということですが、この期間も共の主の恵みをじっくりと味わい知りたいなあと思っています。

 礼拝では、賛美を捧げる中で十字架の主イエスが迫ってきました。この主イエスを見つめ、どこまでも主イエスの後に従っていくキリストの教会として、歩ませていただきたいのです。

 礼拝後は、お弁当愛餐会と8月の恵みを数える時を持ちました。初めて集われたNさんも、ご一緒でき感謝です。その後、私はO君とBible Studyの時を持ちました。以下は礼拝メッセージの断片集です。

20170829
(250字のエッセンスは、コチラ)

 時々「自分を好きになれない」という言葉を聞きます。事実だと思いますし、自分のことが嫌いで仕方がないということは、とても辛いことです。クリスチャンも「自分に自信が無くて」、「自分で自分を赦せない」、「自分を愛せない」という思いを抱くことがあります。一見、正直で、あるいはへりくだっているかのようにも聞こえることがありますが、実のところはそうでもありません。(それは自分を見れば明らかです)

 例えば、「どうしても自分を好きになれないのであれば、自分ではなく、周囲の人を好きになって生きていけば?」と言ったところで、それは無理な話しです。なぜなら自分にこだわっている、自分を好きになれないその自分にこだわっています。つまり歪んだ自己愛と言えるでしょう。それも自己本位でしょう。

 自分本位という罪が、いつの間にか心を支配していないでしょうか? 私たちは自分に自信が無くてもいいのです。しかし主イエスに自信を持って生きていくことはできます。それが信仰です。自分で自分を赦せない、その通りです。罪の赦しは十字架の主イエスによって与えられるのですから、主イエスの赦しを受けとろうじゃありませんか。「自分を愛せない」ということにこだわっていても、そこから良いものは生み出されません。そんな自分を愛すると言って下さる神の愛にこそ私たちは根差して歩んでいきたいのです。

 自分本位に生きる時、私たちはすぐにぐらつき、愛しているという気持ちさえも裏返ります。大絶賛していたかと思うと、今度は殺意をもって石を投げつけたあの群衆のように、人の気持ちは裏返るのです。他人事ではありません。大切なことは、いつまでも変わらない主イエスに根ざす信仰の歩みなのです!



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